2018年7月6日金曜日

第5回ABAオンライン講座:教えること〜時計を例に

 雨が降り続いています。雨が降ればジメジメするし、晴れれば暑いし、暑いのも寒いのも苦手な私には、ここから先は地獄です。電車の中からコンビニへ、コンビニから涼しいビルの中へ、涼を求めてクーラーのある場所を転々と移動します。こんな中、保育園でも小学校でも、まだクーラーをつけていない所があると聞きました。ちなみに私の住む清須市の小学校はクーラーないんです。ええ?と思いますよね。今は昔と違って35度を超える日も珍しくいないのに、クーラーがないなんて教育を受ける権利を無視しているのに等しいと思います。先生であってもそんなブラック企業、絶対働きたくない。子どもも行かせたくない。今でも昭和な感覚の人たちっているんですね。清須市の議員の皆様、頑張って時代に追いついて欲しい。
 昭和な感じと言えば、最近の学校は「教える」と言うことが難しくなってきている印象もあります。塾や幼児教室・早期教育の過熱によってか、既に学校外で教科書の内容を学んできている子が多く、学校の授業では教科書の内容をあっさりと紹介するだけで、後は家庭でのプリント等の宿題を出しておしまいで、授業では何も教えないなんてことを保護者の方から聞くこともあります。例えば最近小学1年生でも、入学した時点で既に平仮名を知っている子どもがほとんどで、特にカタカナなどは完全にすっ飛ばされて先へ進んでしまうことがあるそうです。教えようよ。ねえ。学校外で学んでいない子が取り残されている事実に気づいていながらも、時代とともに増加した書類準備や、もっと先に進めたい親対応のための宿題の準備やら、本当に教えたい子どもに時間を使えない悪循環。学校の先生が、どうやったら子どもが興味を持ってくれるだろうか?とか、どうやったら分からない子どもに分かるように説明してあげられるのだろうか?と考える、いわゆる「教える楽しさ」を体験できないことも増えてきてしまったのではないでしょうか?
 今回の「物事を(それを知らない人に)教える」と言うことに焦点を当てて見ました。教えるとは、こうやってみる?あれもやってみる?こうだったら楽しくなるかな?と様々な方策を考えることなのです。ABAだろうが、普通教育だろうが基本同じで、ただ型にはまった教え方を繰り返していくこととは完全に違うのです。1つの教え方で上手くいかなければ、もう1つの教え方をする・・・要は子どもが分かるまで、色々と工夫するこの楽しさを今の学校の先生たちに知ってもらいたい。授業の準備をすることの楽しさを先生が常に体験できる学校を増やしたいですね。そのためには、そのルール作りができる政治家を育てなければ。まずは学校に意見をしっかり言うことと、投票からかな。
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2018年6月11日月曜日

第4回オンラインABA講座:絵本の読み聞かせ

 第4回の講座は、絵本の読み聞かせにしました。絵本って楽しいですよね。繰り返し読み聞かせることによって、言葉のリズムを教える良い機会にもなりますし、本を読む楽しみを教えることにも繋がります。他の教材と同様ですが、絵本も読み聞かせ方によって子どもの「食いつき」と言うか、興味の持ち具合も随分変わってきます。上手な先生が読まれると、本当に引き込まれます。私は絵本の読み聞かせの専門家ではないのですが、発達障がいを専門に教える立場として、そしてABAの専門家という立場から、特に絵本に興味のない子どもにどうやって読み聞かせをするのか、今回は読み方例とその説明を紹介させていただきました。
 絵本の読み聞かせは随分と前から一度オンラインで紹介したいとは思っていた題材です。これがなかなか実現できなかったのは、絵本の出版社からの承諾を取っていなかったからです。当然ですが絵本には著作権があり、読み聞かせをするには出版社や著者からの承諾が必要になります。ただ、オンラインで使うとなると、承諾してもらうのは難しいかな?大体からして、それって誰に連絡を取れば良いの?という疑問も含めて、何だか面倒臭くなってきて、その内に「まいっか」と、なかったことにしてしまう悪循環。そのまま時間が経ってしまっていました。
 結論から言うと「著作物使用許可申請書」なる物が世の中にはあるんです。これに書いてファックスで申請できるんだそうです。申請書はオンラインで手に入り、オンラインで出版社のFAX番号を調べ、送る。・・・意外と簡単ですよね。無知って恥ずかしい。今でもファックスって使うんですね、と思いながら、年甲斐もなくちょっと恥ずかしくもドキドキするので、他の人に頼んでしまいました(裏技)。やっぱり断られたらガッカリするので、3社ぐらい送っちゃおう。人生勉強だと思って、やっちゃえ、やっちゃえ。ダメなら、ダメな時ですよね。
 驚きです。出してその日の内に電話がかかってきました。何となく返答はすぐに来ないように勝手に想像していたのですが、3社全て即時に反応をいただいて、しかも「大丈夫だと思います。後でFAXで正式返答します。」と即答されるところもあり、なんて素早い対応なんでしょう。しかも出版社によっては、「期間はどれくらいですか?作者への謝礼はありますか?こういった申請が初めてなので、著者に連絡するのにそれぐらいの情報は確認したくて」など丁寧に色々と質問していただいて、これまたビックリ。しかも、「(竹島の)ウェブサイトを見たんですけれど、今開けなくて・・・」またまたびっくり!そう言う申請は今まであまりなかったのか?それでも柔軟に対応するなんて、ああ、世の中には大人な対応をする人たちもいるんだ・・・。出版社の人をみくびっていた私。また世の中について勉強させていただいた。丁寧な対応をしていただいた出版社の方々、ありがとうございます。
 ちなみに私の教える教室で就学前のお子さんですと、生徒さんの中で絵本が好きになる確率は、ほぼ100%に近いと思います。教室では週2回以上読んだ子(しかもご家庭で保護者も読まれた方)に限れば、「ぼぼ」ではなく100%と言い切れます。私もABAを始めた頃は、絵本を子どもが好きになると言うことを知りませんでした。でも、好きになるんです。教室を見学される方の中にも、「こんなに長い間絵本で座っていられるんですね」と言われることがあります。しかし、紹介されるような読み方で、時間をかけて少しずつ読んで行くことで、変わってくるのです。絵本が好きになると、褒められたからではなく、楽しいから席に座ることができるようになりますから、他のことが教えやすくなりますし、集団での教育が格段にやりやすくなります。ぜひ試して見てください。
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2018年5月25日金曜日

第3回オンラインABA講座「そんたく」

 アメフトの事件、もの凄い報道されていますよね。私も強い関心を持って見ています。通常スポーツでの反則行為がここまで報道されることはないと思いますが、あのタックルの映像や、その後の大学側の対応の仕方、そして特にあの反則行為を行なった生徒の会見にはショックを受けました。あの生徒の言うことが全て本当だとしたら、生徒があそこまで追い込まれることがあるということ自体が、本当に怖いことですよね。最近はすぐに親の立場になって考えてしまいます。私はどちらかと言うと、反則行為を受けて怪我をした生徒の親の気持ちよりは、反則行為をしてしまった生徒の親の気持ちを想像して(失礼ながら勝手に)しまいます。もちろんスポーツ選手としてはエリートの生徒さんでそれだけ今後の期待も大きかったでしょうに、このような事件になってしまった親の気持ちを考えるといたたまれないです。
 もちろん、反則行為は二度と起こさないように罰される必要があります。ただ、もしあの会見の内容が全て本当だったとしたら、それをあそこまで明らかに会見で世間に発表してしまったこと自体は、敬意を表する価値があると思います。行なってはいけない反則行為を二度と起こさないためには、その経緯をはっきりさせて、どのような理由からあの反則行為に至ったのかの(問題行動の機能、本人にとっての意味合い)分析がなされなければ、そこから学ぶことはありません。もしこのプロセスがしっかりとできていれば、きっとまだ長い将来人生として成功できる糧になるはずです。同じ流れで行けば、大学側も、どのような経緯から生徒が反則行為をするという行動を生み出したのか、それが監督やコーチにとってどのような機能(理由・意味合い)があったのか、全てを明らかにして分析ができれば、今後二度とこのようなことを起こさない、信頼できる教育を成功させることにつながると思います。
 監督も反則した生徒も、「怪我をさせろ」と監督が具体的には言っていないことには意見が一致していますね。それにもかかわらず生徒は「本当に怪我をさせなければ行けない」と思ったと会見で話しています。これは相手の気持ちを察して行動する「忖度(そんたく)」の行動が起こったと言うことでしょう。こう言った行動、どこか政治家と官僚の話でもでも聞きましたね?今回のオンラインABA講座は、「そんたく」と言う行動を取り上げて、分析して見ました。行動には必ず機能(意味合い)があります。それを分析することが重要だと思います。「忖度(そんたく)」の行動を分析
 

2018年5月11日金曜日

第2回オンラインABA講座

 最近ぬか漬けを始めました。以前にもやっていたことがあったのですが、半年も経たないうちに挫けました。挫折の原因はやっぱり面倒臭いところですかね。何日も何もしないで放っておける物でもないですよね。冷蔵庫で保管したとしても、やっぱり1日おきぐらいにはかき混ぜたり、菌の餌となる野菜を入れたり、様子を見ないと行けない。言ってしまえば良い菌を糠の中で育てているのですから、動物を飼ったり、植物を育てたりするのと同じ感覚です。お世話しなければ行けないと旅行にも行けない。ただ、その「育てる」感が良くて、何となく乳酸菌とか良い菌がどんどん育っているような感じは楽しいですよね。でも菌は決して目に見えないですし、野菜入れたり抜いたりかき混ぜたり、あまりに地味な作業に投げ出したくなる。「美味しい漬物だよ」と毎日ぬか漬けをつけてくれるお婆ちゃんが欲しい。
 ぬか漬けを再開したのには、参加できる講座があったんですよ。やっぱりプロと言うか、専門にやっている人の本物の味を試してみたい。以前はカリフォルニアでぬか漬けのキットみたいなのが売ってて、始めたんです。そうなんです。意識高い系の日本食スーパーならアメリカでも手に入るんです。私の母親はぬか漬けを作ったことがないので、日本ではあまり食べたこともなかったのです。本当はどんな感じになるのか、よくわからないままインターネット情報だけで作っていました。そうか、やっぱりプロだよね・・・。ついつい参加してしまいました。講座の先生は「なんたら(発酵関係だったと思う)マイスター」と自称していましたが、世の中にはそう言う資格があるのだろうか?とりあえず講座で人が集まるぐらい上手なんでしょう。先生の作っている(面倒見ている?)糠を食べさせてもらったり、それを私の糠にも少し分け入れてくれたり、麹(こうじ)菌を入れてくれたり、発酵させたりんごジュースを入れたり、鮒寿司にも使われると言う乳酸菌を米粉で培養したヨーグルトみたいなのまで出て来て、やっぱりプロっぽいこだわりの発酵系食材がたくさん出て来て、一人で始めるのとは随分違う。最近話題の「腸活」ってい言うんですかね。花粉症とかのアレルギーにも効くらしいですよ。やりましょうよ、よし。そう思って始めましたが、1週間もしない内にちょっと面倒臭くなって来た。今回は半年もしないうちに挫けるかな?
 「やってみようかな?でも長続きせずに挫けるかな?」と言う感じで始めたと言えば、オンライン講座です。また2回目を作成してアップしておきました。オンライン講座の焦点は「ABAの視点から世界を見る」と言うことを目標に、日常の何気ない行動をABAの観点から分析してみると言う試みになります。どうしても世の中「これが良い」と言うやり方を求められる場合が多いのですが、ABAは「やり方」の集合体ではないのです。どうやって世の中を見るのか、「考え方」の集合体なのです。やり方・教え方には1つだけの正解と言うのはないですし、また同じやり方・教え方でやったとしても、分析によってはその時効果があるかもしれないし(適切だった)、効果がない(不適切だった)かもしれないのです。その考え方が上手になると言うことが、ABAが上手になると言うことなのです。「ABAは無視するんでしょ」と言われることがありますが、その発言自体がABAをわかっていないのです。無視することもありますよ。でも、無視することが適切かどうかは、その時の状況を分析しないとわからないのです。子どもの行動を見て、大人の教え方を見て、一見それが良いように見える時も、その前後の状況・文脈を見ないと、それが今が良い状態にあるのか、何か変えなければ行けないのか、わからないのです。この文脈と行動の関係の分析を学んでいただけると嬉しいです。
 作り出してしまえば非常に楽しい講座なののですが、何をテーマにするのか考えるのは結構辛いですね。みなさんの質問やコメントとかがあると、次はそれに合わせて作りますので、ぜひとも質問・コメントよろしくお願いします。今回は、「片付ける」と言う行動をメインに分析し、改善の方法とその分析を提案しました。ぜひ見てください。http://www.kojitakeshima.com/ホーム/オンライン講座

2018年4月26日木曜日

問題行動:攻撃・他害は減少すれば良い?

 最近スポーツ界では、パワハラとか傷害事件とか、他の人への攻撃行動の報道が頻繁に起こっていますよね。スポーツ界を離れて、行政の偉い人までセクハラ行動で問題になっています。こういった問題行動は今に始まったことではなく、特に昭和には当たり前に見られていたことですよね。スポーツ界とか政界とか、それぞれの業界によって許容されてきた問題行動を、やっと今になって問題と理解するようになり始めたと言っても良いのではないでしょうか。しかし、スポーツ界でも行政の長でも、日本を代表するような優れた知的能力や身体能力を持った人達ですよね。その人たちが、態度が悪いからと言って殴るとか、自分の監督から外れる人に嫌がらせするとか、立場の弱い人に「言葉遊びをする」とか、そんなくだらない行動を取るというのは、不思議でもあります。優秀だろうが能力が高かろうが、「人間ってみんな平等なのね」とちょっと思ってしまう。
 他の人を傷つけてしまう他害というのは、問題行動の中でも特に深刻な行動です。他害で気を付けなければならない点は、「他害は減少させれば良い」では不十分であることです。パワハラとか障害とか、そういったことが表に出るには、すでにたくさんの報告されていない問題行動が起きていたはずで、しかも、たくさんの人がその現場にも居合わせて見ていたはずです。そして「あの人がすることだから」とか「きっと他の問題でイライラしていたから」とか、何らかの理由をつけて、それが許容されてきた来たはずなのです。小さな嫌がらせでも、嫌がらせは嫌がらせなのです。「1回でも、どんな状況でも、人を傷つけることは許されてはいけない」という認識を私たち全員が共有する必要があるのです。「誰かが我慢すればよい」と言う時代は終わらなければいけないのです。
 療育の正解で私が専門家として自立した初めての頃に職場の上司から言われたことを、今でも守っています。「他害は絶対に0にしなければならない」と言うルールです。「他害は減少させれば良い」では、少ない回数で起こる攻撃行動をそのまま少ない回数で起こるように強化してしまっているのと同じと言うことなのです。行動によっては、低い頻度で起こることを強化維持すればよい場合もあります。例えば指示に従わずに笑ってしまうとか、悪口を言うとか、そう言った行動は頻度が低ければ問題ではないのです。しかし、他害は1回でも起こってはいけないのです。そのまま継続させていると、長期的に継続して強化されてきた行動ですから、ゼロにすることがさらに難しくなります。
 他害・攻撃行動を許容してしまうことは、教育界の中では、思ったよりもよく見られます。私の教室に入ったばかりの生徒さんの中には、何か嫌なことがあったり、欲しい物が手に入らないと、お母さんを叩いたりつねったりすることがあります。ここで典型的に見られるのは、「痛い。やめてよ。」などと口にしながらも、お母さんは真剣にそれを注意する様子もなく流してしまうことです。私がそれに気づいたら必ず子どもの今やっていることを止めて、「お母さんは大切。絶対に叩かない。」と注意します。それ以上起こるのであれば、それぞれの状況や理由によって対策を考えますが、まずは「絶対に許容しない」と言う姿勢が大切なのです。私が子どもから叩かれて、それを真剣に注意すると、「幼い子どもになんて大人気ない」という風にも見えるかもしれません。しかし、攻撃行動を続ければその子が加害者になり続け、1回でも他の子を叩けば「あの子は叩くから」と近寄られなくなってしまう可能性もあるのです。子どもにとって一番大切なことは、攻撃行動を一刻も早く、ゼロにすることなのです。
 人によっては「ABAは無視をするのかと思った」とか勘違いされることもあります。ABAは行動が起こるその理由によって対処を変えますし、他害に関しては「絶対にダメと言わない」と言う選択肢はないと私は考えます。「ポジティブに誉める教育が大切」などと言われる方もいます。その通りですが、適切な他の行動を誉めるという対処で問題行動がゆっくりと減少し、タイムアウトなどの厳しい対処をすると、比較的問題行動が早くゼロになっていく可能性があるのであれば、それを保護者に伝えていく、インフォームドコンセントが必要になると思います。もちろん通常はほめて、ほめて、ほめて、を繰り返していますが、場合によっては、厳しめの対処と言うものが長期的に子どもの利益につながることがあると、当たり前のことを専門家も言わなければいけないです。
 これはスクールカウンセラーをやっていた私の知り合いが言ったことですが、生徒が家庭でお母さんに暴力をふるうケースがあって、子どものお母さんによっては「私が我慢すれば良いのだから」「ストレスが溜まっているようだし、これぐらいは良いのでは?」のようなことを言われる場合もあるそうです。この場合「将来この子が結婚して、ストレスがたまったら、どうするんですか?」と尋ねるそうです。その子のためを思うなら、できるだけ早期のうちに、場合によっては厳しい対処を使っても、行動をゼロにすることを前提として何かをし始めることが、一番なのです。

2018年4月11日水曜日

第1回オンラインABA講座

 子どもを連れて、ディズニーランドに行ってきました。いつ行ってもあの人の多さと、「ミッキー!」と叫んで駆け寄っていく人たちの、あのテンションにはとてもついていけけません。最近はみんなペアルックとか、グループで揃えた格好で行く人が多いですよね。楽しそう。しかも二人で同じ格好をしている男子学生までいる。それはどう言うことか?世の中変わって来たなあ・・・・ミッキーのカチューシャをつけたニキビ顔の男子学生を横目にぼんやり歩きます。そんな私自身、グーフィーの帽子を被って疲れ切った表情で歩いており、「おっさんになってもあんな帽子で、しかも何で疲れ切っている?」と、きっと思われていることでしょう。子連れは大変なのだ。
 子連れで激しい乗り物には乗れないので、ショーをいくつかみました。「One man's dream」と言うショーは、一人の男の夢でしかなかった物が、こんな大きなディズニーランドにまで成長したと言うメッセージ性のあるもので、ショー自体はあまり関係のない感じになるのですが、「One man's dream...」と歌うあの歌が好きですね(そこしか歌詞は知らないけれど)。そんな壮大なレベルではなくても、何か新しいことをしようとすると、全ては一人の夢から始まる・・・と勝手に良い気分になる。
 と言うことで、今回新しいオンラインの講座を始めて見ました。ブログですら1年以上休んでいた私がこれから継続してできるのか?と言う疑問はありますが、まあとりあえず楽しいことは始めて見ましょう。ウェブサイト上で読者の反応や質問などが載せられるような掲示板が作れなかったので、YouTubeで直接コメントいただけるか、もしくはこのブログに質問などを直接コメントしていただけると、ありがたいです。
 オンライン講座に興味のある方は是非www.kojitakeshima.com/ホーム/オンライン講座に行って見てください。

2018年4月6日金曜日

自閉症の子の卒業、小学校へ入学、そして将来

 4月になりましたね。それにしても暑い。暑すぎて、頼まれてもいないのに毎年やってくる、あの足長蜂たちも大活躍なんでしょうね。まだ4月と言うのに玄関先に作られた巣を駆除いたしました。それにしても玄関先に巣を作るのはやめて欲しい。朝ドアを開けてすぐに蜂と目を合わせるのは、怖すぎる。
 私の小さな教室でも3月は卒業生ラッシュでした。これまで4年以上も来てくれていた生徒さん達も含めて、今年度は15人以上も卒業して小学校に入学して行きます。卒業後の進路はそれぞれで、普通学級に行く子も、特別支援級に行く子も、特別支援学校に行く子もいます。成果もそれぞれで、あんなに泣いて拒絶しまくった子がノリノリで主活動をやったり、あんなに工作に無関心だった子がニコニコで工作の先生を呼んだり、ロボットみたいなセリフを言っていた子が友達を家に誘いまくっていたり、人をすぐに叩いていた子が小さい子に優しくオモチャを譲ったり、成長のエピソードもそれぞれです。
 現在は早期教育が当たり前になって来て、小さい子の塾も乱立していますよね。ただドリルをやりまくっても教育効果が上がりにくいとは分かってはいても、ついつい「詰め込み型」の学習に走ってしまうぐらい、「早いうちに何かしなければ」と言う漠然としたプレッシャーもご両親には大きいかと思います。普通教育であろうと療育であろうと、目の前だけでなく長期的な教育の効果を見据えた計画が必要になると思います。
 ABAを使った自閉症の療育では、スキルを直接訓練するタイプをディスクリート・トライアル・トレーニング、そしてモチベーションを高めて自己学習を増やすやり方をPRTなどとも言いますが、どちらの視点も大切です。ちなみに私の教室のルールは、「みんなが楽しい」です。教室に通われる期間が長ければ長い程、教室での活動へのモチベーションも高くなり、教室でやった活動が大好きになって行きます。色々な活動を好きになると言うことは、家でも外でもそれを考えていたり、やってしまうようになりますから、自分からスキルを学習することに繋がります。教室ではモチベーションを高めるタイプの教育にも力を入れていますから、時に「楽しいだけで大丈夫なのだろうか?(もっと勉強させなくて大丈夫なのだろうか?)」と不安になられた保護者も中にはおられたかと思います。
 スキルはできるだけたくさんあった方が良いと思います。しかも、いろいろな種類あった方が良いと思います。ただし現在学習しているスキルの数や種類だけを見るではなく、新しいスキルを継続して学習していこうとする行動傾向も必要になります。持っているスキルが高いことよりも、スキルが増えて行くベクトルが上向きになっていることの方が長期的にはたくさんのスキルを学習することに繋がる可能性があるのです。将来伸び続ける生徒さんに育つために、「学習への好奇心」をどれだけ育てられたでしょうか?新しいことに対して失敗を恐れずに興味を持ってやってみようとする行動傾向を育てるには、結局「新しいことにチャレンジして楽しかった」と言う一見地味な体験を一歩ずつ積ませて行くしかないのです。教室では新しいことをパターンにして繰り返し提示したり、難しいことを分解して簡単にしたり、すでに好きなものと関連付けて提示することで、「やれる」「できる」「思っていたより楽しかった」体験を1つ1つ積み上げて行くのです。
 私の言うことを信頼して何年も教室に通ってくだ来て下さった生徒プラス保護者さん達ですから、こちらも生徒の卒業への思い入れも強くなります。3月の最終週は保護者の方も泣く方もいて、つられて私も泣いて、本当に情緒不安定な1週間でした。卒業生とその保護者の皆様、ありがとうございました。

2018年3月8日木曜日

ドレミの歌に見る教え方

 所沢出張の帰りに所沢駅に立ち寄ると、新しい駅ビルが完成していました。所沢に突如「デデーン」と音を立てそうなほど立派に登場した駅ビル!ビルの壁には巨大スクリーン、ちょっと前まで寂しかったバス停の中のアイランドからは、プロジェクションマッピングが駅ビルに放映され、ディズニーっぽいミュージカル系の音楽が駅を通る人に向かって攻撃的にガンガン流れ、ド派手!そこがちょっと名古屋っぽい。ビルの中はおしゃれな店が立ち並ぶというのに、音楽のすごさで、なぜかパチンコ屋の雰囲気もある。しかもよく聞くとミュージカルの音楽は「すみやすいまち~」と所沢についてオリジナルミュージカルになっており、驚いた。それって・・・必要?そう言えば新所沢駅近くの焼き鳥屋は、所沢オリジナルの所沢音頭っぽい音楽がいつも流れている。いつか入ってみたいが、その音頭が頭から離れられなくなりそう。地元愛があふれる街ということか?まだまだ知らないところが多い町なことは確かだ。
 ミュージカルと言えば、子どもを連れてサウンドオブミュージックのコンサートに行ってきました。小さな劇場でしたが、どんなに小さくても、やっぱり文化に触れるのは良いですね。うちの家内はアメリカで特別支援の教員をしていましたが、サウンドオブミュージックの中でも特に有名な「ドレミの歌」は、教え方のツボが詰まっていると言う。音楽を忘れてしまった子どもたちに音楽の楽しさを再び教えるという設定でしたよね。そういう目で見たことはなかったが、よく見たらその通りだと気づかされました。
 どの辺が正しい教え方なのかと言うと、まずは1)教える内容を簡潔に紹介します(英語はABCで始まるように、音楽はドレミで始まる)。やはり紹介なしでは何を教えようとしているのか、意味が分かりませんね。しかしたくさん口で説明しすぎると逆に分かりづらくなってしまうので、簡潔に説明するところが重要ですね。次に、2)ドレミをかみ砕いて教えるために、「ドはドーナツのド(英語バージョンはちょと違うが)」と楽しい歌にして説明します。こういった工夫が、子どもを題材に対して興味を持たせる重要な努力になります。そして、3)その歌のお手本を歌って見せ、真似をさせます。最初は真似からです。次に4)子どもたちに自分達だけで歌わせます。徐々に先生がやるのではなく、自分達だけでも教えたことを実際に使うように仕向けていきます。もちろん、5)真似する段階でも、自分で歌わせる段階でも、できたらほめるということは重要になります。そして最後に、6)ドレミを覚えたら、それを応用させることも練習します。この場合、「ソー、ド―、ラー、ファー、ミー、ドー、レー」、などに発展させます。もちろんできたら、褒めます。
 こういう教え方は、実は科学的にも何度も証明されているような手法ですし、発達に特別な支援が必要な子どもの教育でも、毎日使うものです。。実は特別支援をやっていると、それにもう一つステップを足すことが必要になります。それは、「計画した教え方通りに子どもが成長できなければ、さらにスモールステップにして、かみ砕いたり分かりやすくしたり工夫する」ということです。特別な支援とは、「なんでわからないの?」と子どもを責めるのではなく、子どもにわかるように教えてあげることなのです。
 最近の学校教育では、先生が教える際にかみ砕いて分かりやすく教えようとしたり、練習させたり応用させたりする時間が(本当の教育をする時間が)無くなってしまっているような印象もあります。しかし、何十年も前のミュージカルに出てくるぐらいなのですから、(科学的な証明がある前から)いつの時代にも良い先生は良いやり方で教えていたのかと思います。こういった良い先生を世の中に出来るだけ増やしていくことが、私の目標でもあります。

2018年3月2日金曜日

自分を育てる力

 私は温泉好きです。年齢を重ねてくると、本当に良い温泉に入った時の効果というか、すごくリラックスして良く寝られたり、疲れが取れたというのが実感できるようになり、やはり本当のというか「濃い」温泉に入りたい。東京って、意外にも温泉湧いてるんですよね。東京に行った際に、東京の温泉に入って見たくて、行きました。そこは昔ながらの銭湯をちょっと大きくして、本当の温泉を引いてきた感じのところ。東京らしい黒いお湯と、もう一つ違う濁ったお湯、二つも天然温泉が出るらしく、なかなか期待が持てそう。名古屋もスーパー銭湯などで結構混雑していて、嫌だなあと思う時が多いのですが、やはり脱衣所は混んでいる。東京だから仕方ないかあ、でも露天風呂なら開放感があるかも。外に出て何気なく風呂を見ると、そこには人がひしめき合って座っている小さな風呂があり、口が開いたまま閉じないぐらい驚きました。・・・何あれ?そんなにたくさん人が入っているお風呂は初めて見ました。何かの間違いだ。見なかったことにしよう。くじけないように頑張って、奥に進みます。それにしても、なんであんなに小さいところに、満員電車みたいになっているの?裸の男がぎゅーぎゅーに積み重なって、地獄絵図か?進んでいった奥の露天は空いていました。良かった。こっちはそんなに混んでなくて。でも、あそこのお湯はどうしてあんなに混んでいたのかな?と考えながら湯に使っていると、私のすぐ隣に、肩が触れ合うぐらいの距離で人が入ってきました。ええ?そこ普通座る?肩が触れる距離じゃない?でもますます人が入ってきます。また一人。また一人。そうか、こうやってさっきの満員電車風呂も作られて行ったのか!東京は人が多いとは実感する時が多いのですが、お風呂までこの状態とは。まいった。まさか地獄絵図の一部になるとは思わなかったものの、それでもしっかり温まるまで温泉を出なかったのは、名古屋育ちの「勿体無い根性」でしょうね。元を取るまでは、出られない。しかしお湯はすっごく良くて、さすが天然温泉。それにしてもびっくりした。
 私の生徒で温泉が好きな子がいて、露天風呂の写真を指差して、その指差した露天風呂に家族で一緒に行くのだそうです。そうやって趣味というか、楽しいことが増えると良いですね。さて、なんの話でしたっけ?そう、自分を育てる力。私のところに来る生徒さんたちは、自分でやりたいことを決めて、それに打ち込むということが苦手な子が多いのです。放っておくと、なかなか好きなことを見つけられず、人から言われたことをやるだけで自発的な行動が少なく、興味の幅も狭く、同じことを繰り返すだけになってしまい、そのうちに飽きて問題行動に繋がり、注意されるばかりになってしまう、というような悪循環に陥ってしまう場合が多いのです。自分を育てる力、言い方を変えると、好きなことに取り組んで、自分で工夫して、自分で問題を解決して、成長していく、こういった能力というか行動傾向をつけていくことは、非常に大切なことに思われます。
 この「自分を育てる力」といのは、モンテッソーリ系の教育でよく言われることで、ABAのような行動系の領域は、そういうところを目標としないのではないかとよく言われます。しかし実はABAも、「自分を育てる力」を目標とすることはそれ程外れていないのです。ご褒美を使って行動を増やすことだけがABAと勘違いされている方も多く、確かにご褒美も使ってたくさんのスキルを少しずつ教えることはABAでよく行われることです。少しでもたくさん教えれば、それだけ多く「できる」ようにはなります。しかし、それだけではないのです。遠くを見据えた教育を考えると、現在1つでも多くできることが増えるよりも、将来自分自身で勝手に学んでくれる傾向を育てる方が、全体的に見ればたくさんのスキルを学習する結果に繋がることがあるのです。こういったことも考えながら子どもにとって最善なことを考慮しながら教育を続けることが本当の教育であり、それはABAだろうが何だろうが、当たり前のことだと思います。
 特に子どもが幼いうちは、子ども自身の興味の幅を広げ、自身から成長していく傾向を作ることも、当たり前に大切だと思います。ABAは行動を中心に考えるので、「打ち込む」「少しできなくても諦めずに挑戦する」「自分で選んでそれを実行する」というような行動を増やすことに焦点をおきます。これは「勝手にさせる」とは大きく違います。その過程ではご褒美を使ってでも新しいことに挑戦させたり、しっかり褒めて徐々に成功体験を積ませたり、地道に「世の中には楽しい」「打ち込むことは楽しい」ということを体験させていくのです。やり方は違うにしても、モンテッソーリとも最終目的地が似ているところもあるのかなあと思います。
 親も教育者も少しでもたくさんのことを教えたい気持ちの焦りが、子どもの将来を見据えて冷静に考えるよりも先走ってしまうことがあります。教育一般に、英語をやって、塾に行って、少しの時間も惜しんで詰め込み式に教えたくなるように、親の焦りを煽るような商売も巷には多く見られます。「自分で考えてやる」「好きなことに集中させる」「自分で練習する」「工夫する」ということを教えること自体は簡単ではありません。やり方がわからないから、「考えさせる」ではなく「答えを詰め込む」に取って代わられてしまうことも多く見られます。発達障がいを持つお子様の保護者の場合も同様です。「この子は成長がゆっくりだから、とりあえず一つでもたくさんのスキルを教えたい。」という焦りや、「うちの子には自分で考えるとか練習するなんて無理」という諦めが、好きなことを見つけて徐々に興味を広げるよりも、詰め込み式の教え方に繋がってしまうことも多いのです。学習って本来楽しいのです。「楽しいことをやろうよ。」と訴え続ける今日この頃です。
 
 

2018年2月28日水曜日

「やればできる子」でもやらない子

 私はウクレレを少し弾きます。歌に合わせてちょっとコードで合わせて演奏する程度なのですが、一時期は教室の生徒と一緒に弾いて楽しむこともありました。アメリカにいた頃に何となくウクレレの可愛さに惹かれて衝動買いしたのですが、やっぱり大人になって楽器を始めるのって、あまりに下手クソなのが恥ずかしいじゃないですか。というか、下手な楽器を弾くのって、聴く側からすると迷惑ですよね。誰にも練習場面が見られないようにインターネットで動画を見ながら、練習しました。最近は簡単なコードの弾き方から簡単に弾ける曲の弾き方まで、色々と動画で見られるんですよね。それを見ながらちょこちょこ自分で練習して、下手クソながらも基本のコードぐらいは弾けるようになりました。全くYouTubeって嬉しいですよね。調子に乗って、最近ギターを知り合いからもらいました。ウクレレ弾けるんなら、ギターも弾けるのでは?大間違いですね。弦が4本のウクレレに対して、ギターは6本あるので、コードによって弦を押さえるために指があんな形になったり、こんな形になったり、痛い痛い。比較的基本に思われるコードでさえ、そんなに難しいの?と驚きです。だいたい指がそんなところまで行けるわけがないじゃない?一瞬で挫けました。
 私の生徒はだいたい一瞬で挫けます。「やればできる子」でも、何か挑戦し始めてちょっと上手くいかないと0.5秒で諦めて放り投げる生徒も多くいます。練習しようとか、頑張ろうという発想すらない感じですね。ええ?もう挫けたの?と呆れるくらいの速さで心が折れる「ガラスのハート」の持ち主ばかりです。0.5秒では、やったと言うほどやっていないのですから、できるようになるわけがありません。親からすると、失敗しても諦めずに頑張って欲しい期待があるので、自分の子が「頑張らない」とか、「挑戦しない」のを見ると、とても歯がゆいんでしょうね。つい熱が入って、「何でやらないの?」と怒ってしまい、子どもの方はすでに挫けて心が折れている上にさらに怒られて、ウキー!と教材を投げたり、逆にヘラヘラ笑ってごまかして、今度は親の方が「何でやらんの!」とキレたり、親子関係はドツボにはまって行きます。
 挫けやすい子どもというのは定型発達をしている子の中にも多いのですが、発達に障がいがあると、面白いことに挫けやすい子どもである確率がほぼ100%になります。すでに発達に遅れがるのに、挫けやすいのですから、放っておくとますます他の子と差が開いてしまう。では、「やればできるのにやらない子」と「諦めずにどんどん練習する子」は、何が違うのでしょうか?
 簡単に言えば、成功体験です。やってみたら「できた!」という成功体験を多く積んでいる子は、できないことが続いて時々しか成功しなくても、どんどん練習できるのです。やればできることに対する、いわゆる「意味のない自信」がある状態ですね。しかし成功体験の少ない子どもは、1回でも失敗すると、すぐに挫けてしまいます。行動の科学で証明されていることは、新しい行動を学習する際には、最初の段階では毎回成功させてあげることが必要で、その後時々しか成功しない状態に徐々に移行して行くことで、その行動を継続させることができます。ただ、最初の段階でしっかりと行動が成功(強化)されていないと、もしくは成功する確率が突然低くなりすぎてしまうと、行動自体がなくなってしまうのです。ですから、毎回成功させてあげる時期をしっかりと作ってあげて、徐々に成功回数を減らしてあげる必要があるのです。すぐに成功が得られなくても練習し続ける行動の背景には、最初に何千回も成功したという基礎がしっかりとしている必要があるのです。
 どれぐらいの期間、どんな風に成功させてあげることが必要なのでしょうか?私の経験からしても、「それぞれ」としか言いようがないですね。私の教室にくる発達に遅れのあるお子様の場合、最初の1回目すら取り組んでくれない状態から始めるので、最初の1回目を(スモールステップで)すごく簡単にしたり、「できたよ!」と一緒になってメチャクチャ褒めてあげる必要があります。ただし、これを繰り返して行くと、やること自体が好きになってきます。あんなに嫌いだった工作が、お絵かきが、リズム遊びが、プリントが、全般にそれ程嫌でなくなってきて、1、2年かけて、場合によっては3年ぐらいかけて、自分から手を伸ばしてやるようになる状態になってきます。諦めずにできるまで挑戦し続ける時間も0.5秒から5秒10秒と徐々に長くなります。自分で何度も練習すること自体も、少しずつ見られてきます。教育の目的は必ずしも全て教えることではなく、学ぼうとする意欲を変えることだと思います。
 しかし、親や教育者が陥りやすい間違いが、「これも教えて」「あれも教えて」と成長を焦ることです。せっかく成功していても、「それはもうできるでしょう?」「それは昨日できたじゃん。もっと新しいことやらなきゃ。」的に対応すると、「それは大したことじゃなかった(成功ではなかった)。」と伝えたことになり、せっかくの成功体験も無駄になってしまいます。子どもって、できることは何十回も何百回もやりますよね。そうやってできたことを、飽きずに褒めて行くことは意外に労力が必要なことです。しかし大変でも、「それはすごいことだよ」と褒めることが非常に大切なのです。時々、「この教室ではこんなに小さなことでも褒めてもらえて嬉しいのですが、それで大丈夫でしょうか?世の中そんなに褒めてもらえないですよね。それに慣らしていった方が良いのじゃないでしょうか?」と保護者から質問されることもあります。でも、どんなに小さなことでも「成功できたよ」と褒められる体験が大切なのです。焦ってあれこれ教えようとするよりも、本当に小さなことから何百回も褒めておくことで、失敗しても簡単にくじけない、褒めてもらえいない世の中でも「諦めずにどんどん練習する子」、すなわち将来伸びる子を育てるのです。

2018年2月12日月曜日

子どもの寝かせ方

 私は朝が弱いです。かなりの頻度で電車に乗り遅れそうになって、家から駅まで猛ダッシュします。私の他にも学生さんなどで息をぜーはーしながら電車に乗る人もいますが、さすがに私ぐらいの年齢でダッシュしている人は見たことがない。あまりにダッシュすると、次の駅に着くまでにまだ息が落ち着いていなかったり、汗だくになっていたりして、恥ずかしい。このおっさん、この年齢で何やってんの?もうちょっと落ち着きのある、ゆったりとした生活がしたいと思うには思うが、これはこれでありかな、と別に嫌でもなくなってきた。というのも、最近は走り慣れて来たのか、家から駅まで完全に止まらずにダッシュして、地下道を降りて上がっても含めても、そこまで息が切れなくなってきたんですよね。トレーニングの効果かな?余裕が出てきた。健康にも良いかも。だんだんポジティブにさえ思えてきた。やだやだ。
 寝起きの弱い私ですが、夜はしっかり寝たい派です。4,5時間しか寝なくても済む人ひますよね?私はダメです。だから、幼い子どもが家にいますが、絶対夜は早く寝て、朝ゆっくり起きて欲しい。
 私の療育やコンサルテーションであまり大きな力になれないことの一つが、睡眠です。行動分析をする人には、やはり行動が起こる場面に行って、その場で起こる行動を観察したい。ただ、夜寝る所にはさすがにお邪魔できないですよね。どうしてもご家庭で起こる行動のお話を聞いて、アドバイスを差し上げるだけになってしまいます。こうなると、もしたとえご家庭で、お母さまが気づいてらっしゃらないけど行動上は重大なミスを犯していたりしても、私はその場面を見ていないので、指摘してあげられないことになります。あまり役に立たないアドバイスだけで終わってしまう可能性もあるわけです。
 ちなみに長男は、アメリカ式とでも言いましょうか、1歳過ぎて卒乳したころから部屋に一人で寝かせています。ベビーモニターという監視カメラを付けて、何があっても監視できるようにしていますが、必要以上に長男の部屋に入りません。特にうちの子は親がいると(人がいると)興奮してなかなか寝付けません。バタバタ興奮して、ばたっと倒れるように寝る、という子どもの話をよく聞きますが、私の家庭では、早いうちから一人で寝かせる習慣をつけました。
 最初はギャン泣きでした。親がいるとなかなか寝ないし、部屋を去ろうとすると、すぐに足にしがみついてきます。こちらも疲れてきて、もう寝たい。他にもやることはある。「ねんこ!」と指示を出して、泣いても部屋を出ます。部屋には大人しか開けられないように、ドアに取り付けられる仕組みがあります。もちろんオンラインで購入です。ギャーギャー泣いて、ドアをどんどん叩いて、開かないからますます泣いて、結局泣き疲れて寝るようになっていきます。ひどい親ですね。最初はつらいです。最初は30分くらい泣いていましたかね。でもすぐに5分程度しか泣かなくなります。そして1ヵ月もしないうちに、ほぼ泣かなくなりましたかね。今では、ベッドに連れて行って歌を2曲歌ってあげれば、それで後は自分で寝てくれます。早く眠れますから、朝もすっきりです。長い目で見れば、親も子どもも「しっかり眠れる」ことにもつながりますし、結局一番子どものためになると思います。アメリカでは子どもは幼いうちから一人で寝ますし、当たり前のことです。「親と一緒に寝なければ」という神話は、必ずしも必要ありません。
 こういう話を生徒さんにすると、「そんな幼いころから?スパルタはできません。」と言われてしまうこともあります。そりゃそうですね。できない人もいるでしょう。でも、やれるなら早いうちからやることをお勧めです。子どもとの良い距離感も気に入ると思いますよ。
 ちなみに朝が弱いと始めたこの話ですが、夜仕事から家に帰るときも、やっぱり電車に間に合うようにダッシュしてしまう私。余裕がないのは結局しっかり寝ることの問題だけではないようだ。

2018年2月2日金曜日

スモール・ステップで勝ち負け、「負けて悔しい」を教える

 昨年から所沢市にお仕事で行かせていただくことになり、月に2回は名古屋と所沢との往復を続けております。所沢・・・・住宅街ですね。品川から結構距離ありますよねえ。せっかくあれぐらい時間かけて行くのだから、畑が多かったり、木が多かったり、そういった田舎感を求めていた私には納得いかないです。首都圏ってどこまで行っても、ちっとも田舎にならないのが名古屋人的には驚きです。こんだけ時間かけて行ったんだったら、空気ぐらい綺麗になってよ。温泉ぐらい湧いてよ。全く。まあ住宅街なので、基本静かで日中は人もまばら。特に観光で遠くから人が訪れそうなものはなさそうですが、そう言えば、西武球場って所沢ですよね。西武ライオンズの試合の日には、きっとライオンズのファンが西武球場に集まって、さぞ賑わうのでしょう。野球ファンではないが、ライオンズ頑張れ!
 野球のようなゲームの理解は、言葉の理解のない子どもには非常に難しいです。特に、自閉症だったりすると、理解力だけでなく、勝っても負けても「しれー」っとしているというか、嬉しいとか悔しいとかの感情が湧いてくる感じが一切ない場合も多い。勝った時に嬉しくて、負けたら悔しいと言う気持ちを感じられるようにするには、一体どうしたら良いでしょうかね?これが良いという正解はないですし、色々な教え方があるのでしょうが、簡単には教えられない課題です。今回私の教室で成功した例を紹介しますね。
 教室で(小集団で)、相撲を通して勝ち負けを教えてみました。相撲・・・特に相手を押し出すとか倒すとか、人と絡むのを嫌がる子どもも多いです。おもちゃの取り合いでは白熱する子どもも、いざ「押して良いよ」と言われると、尻込みしてしまいます。まずは、相撲の「どすこい」というか相撲っぽく押す感じを見せたくて、「どすこい体操」というYoutubeの動画を見せました。「どすこい、どすこい」の部分が早くてリズミカルで、大はしゃぎになり楽しめる子どもが多いです。
 次に、人ではなくダンボールで作った鬼(たまたま節分が近かったので)を押すことを教えてみました。ダンボールの中にコピー用紙を入れて重りにして(すぐ倒れないようにして)、下には滑りやすいように絨毯を引いて、ダンボールの表面には、わかりやすいように鬼の絵を貼ったりしました。そして、その鬼を押す見本を見せます。必要であれば手伝って子どもに鬼を押させて、できたらめちゃくちゃ褒めます。このやり方で、人を直接押すのではなくダンボールの鬼を押すことなら、比較的早い段階から楽しめるようになりました。「やりたい人!」と聞くと多くの子どもが手をあげるところまで行けました。
 その次に、実際に大人を相手に相撲にしてみます。最初は、後ろから手伝ってやりますが、徐々に先生を押すと先生が大げさに倒れてくれて、それが楽しいことを学習してきます。何度も勝って、褒められて、それが嬉しいようになったところで、負けさせます。ここが勝ち負けが本当にわかるかのテストです。今まで先生を押し出して褒められていたのに、突然先生から倒されるのです。ここで「悔しい」表情を見せたり、倒されても先生を押し返そうとすれば成功です。今まで勝ち負けのあるゲームには全然「しれー」っとして何の感情も見せなかった子どもの何人もが、勝って喜び、負けてがっかりする感情を見せるようになりました。そういう感情って、やっぱりあったんですね。まさか相撲が勝ち負けを教えるのに良いとは、驚きです。ただ、まだ勝ち負けを表情に出さない子どもも中にはいます。私の頑張りが足らないということですね。教育って、思い通りに簡単に行かないからこそ、本当に面白いですね。

2018年2月1日木曜日

子どもを泣かせる派?泣かせない派?

 久しぶりの投稿になってしまいました。
 私は普段、お母さん方に、または学校の先生などに子どもの教え方について指導差し上げる仕事をしています。しかし、いざ自分の子どもを連れて外に出ると、知らない方からお手伝いを受けたり、否定的なコメントを受けたりもします。教育には色々な考え方をする人がいますから、当然と言えば当然ですかね。
 ある朝長男を連れて児童館に遊びに行きました。午前中みっちり遊んだので、そろそろ家に帰ってご飯を食べようと長男に言うと、「まだ遊ぶの!」となかなか離れようとしません。「もうしっかり遊んだでしょ?また来ようね。お腹空いたよね。おうちでご飯食べよう。」と手を引いて行こうとすると、長男が足をバタバタさせて泣き出しました。すると児童館の職員が素早く寄ってきて、あやそうとしてくれます。「どうしたの?大丈夫、大丈夫!ほら、お靴履こうか?やった!履けた!」おかげで長男の機嫌も直り、そのまま帰宅することになります。
 「大丈夫」は、何か痛いことや辛いことがあった人に言う言葉ですよね。この場合は何も痛いことや辛いことはなかったのですから、結論から言えばこの対応はおかしいです。泣いた理由は「帰りたくない」ですから、ただ残念だったのです。残念なことがあって泣いたら、世の中いつも欲しい物が手に入るわけではないので、残念だけれども、他の楽しいことを考えることを学習して欲しいのです。ですから、「残念だね。でもパパが言った通り帰ると、良いことあるよ。」で良いのです。それでも泣き止まなければ、私は子どもを泣かせたまま児童館を去っても全然問題がないと思います。帰ったら、美味しいご飯が待っているわけですから。それも含めて体験させてあげることが、教育ということです。泣いたら理由も関係なくあやすのはおかしいのです。
 泣く子どもに「大丈夫」とすぐに大人が寄って来てあやすのは、痛いことや辛いことがあった場合は必要なのですが、ただ残念なことがあっただけの場合には、むしろ逆効果になります。「残念なことがあれば泣く」=「周りが寄って来て色々としてくれる」と言う構図ができてしまうと、将来何かやりたくないことがあればただ泣いてしまう行動傾向が着いてしまい、大きな目では逆効果になりかねないのです。子どもの泣いた理由によってその時の対応を変えるのが適切であり、効果的な教育方法なのです。
 子どもの泣く行動全般に対してアレルギーのある方は他の場面でもよく見られます。私が子どもにオモチャの片付けをさせて、子どもが嫌がって泣いていたとすると、「厳しいのねえ」「そんなにやらせるんですか?」というような批判的な声を聞くこともあり、「(年齢や発達に応じて)できることはやらせる」という当然のことすら嫌がる親も多いような印象を受けます。「子どもの内面からの動機を育めば、無理にやらせなくても自分からやるようになる」というような何の科学的根拠もない考え方を言う教育の専門家が多くいるからかもしれません。「餓鬼(ガキ)」という言葉が子どもを意味する言葉に使われるようになったのは、子どものうちはお腹が一杯でも好きなものは際限なく食べてしまったり、自分の好きなことだけをやって嫌なことは逃げようとしたり、そう言った側面が多く見られるからです。もちろん待っているだけで勝手に色々とできるようになる子どももいますが、だからと言ってすべての子どもにそれを期待するのはおかしな話です。子どもは大人が教育する必要があるのです。良いことは良い、悪いことは悪いと、小さい頃から少しずつ教えていくのは親の当然の義務だと思います。
 「そんなにやらせるって・・・ただ片付けさせてるだけじゃん。片付けさえもやらせないんだ・・・。」ぼんやり思いながらも、まあ親切心で言ってくれている人に対して申し訳ないので黙ったまま、そして心の中では悶々としながら帰途につく今日この頃です。