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ご褒美と強化子(好子)

 昨日2回目の親トレーニングのウェビナーをやりました。いつもの通りペラペーら気持ちよく話していると、「スライド見えていません」とメモをいただき、まさかの画面共有ボタンを押し忘れに気づきました。ああ恥ずかしい。朝から汗だくですね。まさかの失敗にもめげずに、頑張った私へのご褒美で外に出ました。コーヒーは良いですね。時価で値段変動のコーヒー屋さんがあり、こだわってるから高いのかと思いきや、まさかの一杯116円。コーヒーを持ってフラッと歩けば、偶然ビルの中のテラス席が空いている。見上げると名古屋のテレビ塔が。意外に良いですね、名古屋。ちなみにインスタにも写真をアップしてしまいました。さっそくインスタに振り回されていますかね?まあ最初のうちはそれぐらい楽しんでも良いでしょう。 https://www.instagram.com/p/CN_-In8H76s/?utm_source=ig_web_copy_link  この日の親トレーニングは偶然「ご褒美」や「強化子」についてお話ししました。ご褒美イコール強化子と勘違いされている方が多く、そういう時もあれば、ご褒美が強化子にならない時もあります。ご褒美はもちろん嬉しいことなのですが、タイミングを間違えば行動を強化する力が発揮できないだけでなく、逆に間違った行動を強化することもあり、使い方が下手な人に限って「強化子はうまく行かない」とか文句を言ったり、「この子は教えづらい」などと子どもの責任に押し付けてしまう結果になることも。また行動の労力に対して強化子としての価値がそこまで高くない場合や、行動が起こらない他の場面でもそのご褒美が与えられてしまう場合など、全然行動を増やさない場合もあります。行動の後のみにそのご褒美が来ていないと、強化は起こりづらいのです(行動にくっついて意味があるところから、随伴性などとも言います)。簡単でよく知られている基礎的なことのようで、意外に使い方は難しいのです。嬉しいものは必ずしも行動を増やさないのです。使い方次第ですね。  ちなみに私のコーヒーはご褒美なので私にとっては嬉しい物ですが、私のウェビナーをする行動を強化しているわけではありません。ウェビナーをしようがしまいが、きっと何らかの理由をつけてコーヒーは飲むでしょうし、そういう場合は随伴性が壊れているので強化としても効果がないです。ウェビナーをする行

インスタグラム・写真の良さ

 インスタグラムを始めました。「インスタ映え」という言葉が流行ってから随分経ち、今さらながら、時代についていくのも大変ですね。この年齢でも新しいことは学べるのですが、時間がかかりますし、江戸っ子親父のようにだんだん焦る傾向が強くなっている今日この頃。操作が上手くいかない度にイラっとしますね。スマホをうまく使いこなせず、「もうやだ!」と、ちびまる子ちゃんみたいにトイレにダッシュで逃げ込むこともしばしば。やっと操作に慣れ、少し落ち着いて写真がアップできるようになってきました。ちなみに以下のリンクから開いてみてください。 https://www.instagram.com/p/CN6fnp3nPhh/?utm_source=ig_web_copy_link  インスタと言えばやはり綺麗な写真。最初に教室のひまわりの工作の写真を載せたのですが、それがすぐに40くらい「いいね」が届き、「これはすごい」と勘違いしたのも束の間、それ以降に載せたものは1つ2つ程度ですかね。まあ「いいね」の数にあまり振り回されずに、地味に写真を載せていきます。  確かに最近は(前から?)療育にも写真やビデオをフル活用するようになってきました。子どもにやらせたい活動はビデオに撮って子どもに見せます。ビデオモデリングと言って、ビデオに撮ってある方が、集中して見本を見て真似ができるからです。大人でもそうですよね。ご飯の作り方レシピよりも、クックパッドで写真やビデオがあった方が分かりやすい。教室の工作も、ご家庭で何度も作って欲しいですからできるだけビデオに撮りますし、そのままyoutubeにアップすることも増えました。(ちなみに、工作のYouTubeは、https://youtu.be/qKl6WipS6uI などです。参考までに。)療育中も楽しい活動はできるだけ写真を撮って、生徒に後から「今日は何が楽しかった?」と振り返らせます。その写真をそのままプリントアウトして、「写真日記」にして、「4月22日、ひまわりきょうしつで、こうじくんと、くろひげゲームであそんだ。たのしかった。」など、まとめてもらってます(場合によっては、大人が書いたものをなぞってもらうだけですが)。楽しい体験を写真と文章にまとめると、後から他の人にその楽しさを共有できるので、その効果はすごいです。他の人から「すごいね。くろひげ遊んだの?」

小学校時代の自閉症の療育と学校教育について

 2月27日(土曜日)はBlueRingでの無料講演会でした。参加していただいた方、ありがとうございました。自閉スペクトラムを持つ子どもの療育に、日々戦っておられるABAの実践家、それから保護者、そして事業家が連携しての講演です。無料ですが内容の濃い見応えのあるものに仕上がっていたと思います。(企画する側なので自画自賛ではありますが。)講演されたボランティアの先生方、ありがとうございました。講演日から2週間は無料で見逃し視聴もできるようなので、もし間に合わなかった方がおられたら、 https://youtu.be/Ke8qW07mhtE から視聴してみてくださいね。  私の講演は題目は「小学生時代に身につけたい6つの姿勢」という題名でお話ししました。ABAで最も有名なものは、「自閉スペクトラム症の児童への早期集中介入」です。就学前、特に2、3歳などの幼い年齢からの集中的な療育が科学的に効果があると検証されています。「効果がある」と言うのは、言語、生活上の行動、コミュニケーション全般などに大きな改善が見られるということです。「ABAがなかったら、この子は何か嫌なことがある度に、泣き叫んでばかりのまま大きく育つのかな?」と思われるような生徒もいます。ABAに巡り会えたことにより、好きなことも増え、言えることもしっかりと言えて、コミュニケーションが全般に楽になるという体験は、支援する側から見ても保護者からしても本当に嬉しい瞬間です。しかしABAの早期介入を卒業したからと言って「もう何も支援が要らない」と言う生徒は実は少数派で、逆に大部分の生徒が、小学校に上がってからも何らかの支援が必要な場合が多いです。ABAを長年やってきた支援者側から言うと、早期療育の後の、小学校教育も同じくらい大切なのです。特性のある生徒さんに対して、教え方を色々と工夫して、常日頃頑張ってくださる学校の先生や、保護者が一人でも増えて欲しいし、そう言う人へのサポートがしたい。一般に小学校時代の教育は子どもの人生にとって重要な位置付けにあるのは当たり前のことで、幼児期の教育も、学校教育も、親は継続して「子供にとって一番良い教育」を探し続けるところになります。子どもへの教育としての選択肢の一部としてABAが多くの場所で手に入ることができたら良いな、と妄想しています。今の段階では非常に遠い未来のようにも見えま

共通テストで「鼻マスク」受験生逮捕

 共通テストで、マスクから鼻が出る状態で受験していた人が成績無効になった(逮捕された)ことが話題になりました。おかしな言動をする人は、逮捕されても失格になっても仕方がないとは思います。逆に、周りの真剣な受験生に迷惑をかける人は逮捕されるべきだと思います。ただ「正しいマスクの着用で」(しかも鼻が隠れてない程度で)失格になる可能性というのは、これは議論された方が良いことだと思います。  私からすると、細かいことにうるさい人は怖い。しかもそのこだわりを他人に強要する人はもっと怖い。私からするとマスクで鼻が出てるとかは、まさにその「細かいこと」の範疇に入ります。マスクを頭にかぶっているならわかりますが、鼻を隠していることって、そこまで重要か?本人の立場に立って言えば、自身の感染の確率が上がるのですから、それは鼻まで隠した方が良いに決まっています。でも、鼻からは飛沫を飛ばしにくいでしょう?・・・正確に言えば、特にくしゃみなどをすれば鼻からも飛沫が飛ぶらしいので、近くでくしゃみしている人が鼻を隠していなかったら、私も鼻をカバーして欲しいと思う。でも、くしゃみもしてない時に、それが気になるか?・・・細かい。受験生からそういった苦情が出たのでしょうか?確かに受験生は気になりますよね。ただし、その細かいことで、他の人の行動を取り締まろうとすることは怖い。マスク一つで人を逮捕する可能性があるのなら最初から「受験は安全だ」と言わずに、最初から全国で個室やオンラインで受けられるようにして欲しい。6回も注意を受けて直さない方も直さない方だが、このことで6回も注意するのは「俺の言うことを聞け!それがどんなに細かいことでも、俺の指示には従え!」とも感じられ、怖い。  ASDの子ども達を対象にブログを書いているので、「こだわり」をテーマに書くことが多いのですが、私たち全員がそう言った傾向を多かれ少なかれ持っています。ただ自閉傾向のある人は、必ずしも人に自分のこだわりを押し付けて来ないです。この新聞記事を見る限り、一般の人たちにも相当こだわりが強く、それに加えて「人にも強制的」である人がいると考えざるを得ない。どこか他の国ではやっと「マスクをする」と言う人が増えてきた程度であったり、それこそマスク1つで逮捕されたりする国もある。コロナによって大きなストレスを抱える社会になっていることも事実だ。教育や