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自閉スペクトラム症と知的障がい、ABA療育の目標

 メリー・クリスマス!今年は特にネガティブなニュースが多かったですね。今までにない新しい脅威に振り回されながら、日常生活を継続していくという想像もしなかった一年でした。何が起こるかわからないですね。皆様が今年のクリスマスとお正月を少しでもゆったりと過ごせますように。  今回は、子どもの障がいの特徴についてお話しします。特徴は子どもそれぞれなのですが、一般に「自閉度(自閉傾向)」と「知的障がい」とう2つの軸を使って表現することがあります。  「自閉度(自閉傾向)」というのは、例えば興味の範囲が狭いとか、1つのことや細かいことへの執着が強いとか、柔軟ではなく同じパターンを好むとか、社交的なやりとりが難しいとか、色々な特徴が見られます。ABA的にざっくり言うと、好きな物の数が少なく学習する行動の範囲が狭いことを指します。ADOSなどの検査などでこの傾向を検査することもできますが、その傾向が極端に強いことを「自閉度(自閉傾向)が強い」「自閉症状が重い」などと表現します。大人であっても、一般にどの人にも自閉傾向はあり、例えば1つのことを黙々と継続するような、こだわりが必要なお仕事には向いていますし、必ずしも良い悪いを言うものではありません。  一方「知的障がい」は、知能テストで測るIQが低いことを差し、知能テストの点数が低い場合、知的障がいが重いと言います。診断も知能検査でなされます。ABA的にざっくり言うと、学習のスピードが遅い傾向と考えます。大人にも飲み込みの早い人とそうでない人がいるように、それぞれに合わせた教え方が必要になります。知的障がいのある教える際は、その生徒が学習しやすいように、細かくステップに分けて教えることで様々なことを学習します。  知的障がいは自閉スペクトラム症とは全く別の診断となりますが、自閉スペクトラム症と診断される場合は、多くの場合「知的症がい」を併せ持ちます。ざっくり言うと、好きなことや学習する範囲も狭いし、それに併せて、学習するスピードもゆっくりだと言う事です。この場合、生活や学習でのチャレンジも確かに大きいです。  どんなチャレンジであったとしても、1つ1つ問題を丁寧に分析して乗り越えていくと言うことが、子どもを教えていくのに重要な観点だと思います。私がABAで一番共感している部分は、他の人と比べてどうとか言うのではなく、「自閉だから」「知

自閉症は感情が薄い?:行動のきっかけ(SD)

  私の子どもの幼稚園は園バスがなく、朝は私が幼稚園に連れて行ってます。子どもを連れて園に近づくと、同じく通園する生徒と保護者、それから通勤してきた園の先生にすれ違います。この時通常挨拶しますよね?この挨拶で気づいたことがあります。私が子どもを連れて歩いている時は、遠くからでも「おはようございます」と声をかけていただきますが、子どもと別れて園から職場に向かう時は、途端に挨拶をかけられなくなるのです。こちらからすれ違う先生に挨拶をすると、ちょっと通り過ぎてしまってから「あ、おはようございます。」と、明らかに気づかなかった感で遅れて挨拶が返ってきます。子どもと一緒にいないと、急に「お父さん」と認められなくなるのです。園は比較的人通りのあるところにあり、朝はサラリーマンも多く通勤で歩いているところです。子どもと一緒にいないと、急に「お父さん」から「ただの通勤途中のサラリーマン」に紛れて分からなくなるらしいのです。面白いことに女性の場合は子どもと一緒にいなくても「お母さんかも?」「先生かも?」という目で見ているのでしょう、すれ違って挨拶を忘れることはないんです。男性は子どもが一緒になって初めて「お友達の〇〇君のお父さん」になり、子どもがいなければ「対象外」のようなのです。  一般的な心理学で言えば、父親とサラリーマンの認知の部分になるのでしょうか?私は一般的心理学の専門家ではないため分かりませんが、行動分析的には頭の中にあって見えない「認知」には頼らない分析の仕方をします。行動分析的に言うと挨拶が起こらない状態は、行動の「きっかけ」がない(専門用語で言うと弁別刺激、SDがない)ために行動が起こらない状態と考えます。詳しく言うと、園の近くにいる男性という刺激は「子どもが一緒にいる」という刺激が一緒にはって初めて行動を引き起こすきっかけ(弁別刺激)になります。サラリーマンに挨拶をしても返答が返ってこないので、サラリーマンには挨拶をしない。園児の父親に挨拶をすると挨拶が返ってくるので、父親には挨拶をする。サラリーマンが実は父親である可能性は、一人でいる女性が園児の母親である可能性よりも圧倒的に低いために、女性がひとりでいれば、顔を詳しく見て母親かどうかをチェックするが、男性が一人でいる場合、父親かどうかを確認する行動が学習されていないと考えます。私が一人で歩いていて挨拶をされない

PECSの絵カードと自発の言葉

 本当に久しぶりにブログに帰ってきました。前回アップデートしたのが2018年10月とあったので、ほぼ2年ぶりですね。ブログは結構体力を使ってしまうので、子どもが小さいうちは中々難しいですね。ブログに関して言うと私は「がっつり派」と言うか、ついつい長文のブログを書いてしまうので、気付けばそれなりの時間を取られてしまっています。なんでこんなに言葉がたくさん出てくるんでしょう?私小さい頃は全然話すタイプではなかったので、私のイメージでは、私って無口な人なんです。家族が私以上に話す人たちだったので、気づかなかっただけかもしれません。大人になってアメリカで学生していた頃には既に「親トレーニングする時、ダダダダダ、って話すね。」とDr. Jim Carr(現在の国際認定協会のボスです)に言われたことがあり、ショックを受けました。「ダダダダダ」って、アメリカ人からマシンガン扱いにはショックでした。最近は講座などで2時間話す機会があっても、用意したスライドの内容からついつい関係あること・ないことペラペラ話してしまい、結局スライドが終わらない・・・。もうただのおばちゃんです。  話すといえば、話さない人に使うコミュニケーションの1つにPECSというものがあります。昨日はスタッフとPECSの絵カードの整理をしました。PECSってご存知ですか?Picture Exchange Communication Systemの頭文字を取ってPECSなのですが、アメリカで発達してきた絵カードを使ったコミュニケーション方法の1つです。口頭で会話ができない人が、代わりに絵カードを使って話しかけることができる道具とその方法を言います。例えば、「チョコレートが欲しい」というメッセージを伝えるために、「チョコレート」の描かれた絵カードと、手のマークのついた「ください」のカードを使い、裏についているマジックテープで「チョコレートください」の文章にまとめて、伝えたい人にそれを渡す形でコミュニケーションを取ります。なかなか言葉が出ない発達障がい(例えば自閉スペクトラム症)の子どもが、この方法を使って言いたいことを伝え、コミュニケーションが改善するということが研究で明らかになっています。日本でもそれなりに広まっていて、青森に日本行動分析学会があった時には、「PECS使用できます」のような貼り紙のあるお店があったのを