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基軸となる行動を教える:Executive Functioning

 また東京に行ってきました。今回のメインの目的は東京にあるABA療育の会社へのスーパビジョン兼コンサルテーションの提供です。ABAで療育を頑張っているという会社があるというだけでも私的にはかなり嬉しいんですが、さらに私のような所にも相談に呼んでくださって、本当にありがたいです。他にもABAの大学の先生と面会していただく機会を作って頂いたり、アメリカ時代からの友人と夢について語り合ったり、色々収穫の多い旅でした。   懲りずに何度も上京していますが、 方向音痴には東京内での移動が大変なんです 。 ビジネスに慣れている方は、新しい場所も結構スムーズに移動出来るんでしょうか?私は昔から待ち合わせとかダメなんですよ。皆で待ち合わせをして私だけ 全然勘違いした所に行ってたりして、皆と 会えずに迷惑をかけた事もあります。そう言えば、この間東京で友人のカナコさんと一緒に電車乗った時は、つい話し込んで駅を乗り越しました。(一緒に乗り過ごしたカナコさんも相当やばいですね。)誰かに「ほら、次でしょ」って言ってもらわないと(専門用語ではプロンプトという)、降りるべき駅でおりられなかったりします。よく 細かい所で失敗している。今回の上京で5回人と待ち合わせだったり、直接出向いたりしたんですが、よくよく考えてみればスムーズに行けた場所は1つくらいですね。 道順をすっごい丁寧に書いてもらってあっても、なぜか迷う。うーん。 最近は車のナビと同様、歩きでもスマートフォンを使って地図で示してくれますよね。やっぱり時代はナビだよ、ナビ。それでもやっぱり迷ったりして・・・。   ナビを使わない場合、新しい場所に行く時には色々と計画というか道順を調べて、それに従って行くじゃないですか。だいたい頭の中で「このホームを降りて、1番線に向かって、快速の時刻を調べて」とか色々な計画を細かく立ててから(もしくは立てながら)歩い行って、その計画を実行して行く。こういうのって、Executive Functionなんて言います。日本語では何て言うんでしょう?実行機能?まあ名前はどうであれ、頭の中で行動の順序を決めてそれを実行することです。レシピ本を使って新しい料理を作る時とかも、ピーマンを出して、野菜を先に切ってから肉を切ってとか、ある程度の順序立てを自分で組み立てて実行するので、同じ事です。  自閉症の

受け身から自発へ

 合気道を始めてから2ヶ月くらい経ちました。完全に初心者で、しかもおじさんになってから始める人もあまり多くないでしょう。まだ受け身とかもあまりうまくできません。前受け身ってわかりますかね、前方回転するやつです。でんぐり返し最近した事ある人います?ああゆう感じなんですが、でも微妙にちょっと違う(らしい)。と言うか、回った時点で自分の体がどうなっているのかまで、わからなくない?最初はやり過ぎて(と言っても20回くらいかな)くらくらして、顔色悪くなりましたよ。フィギュアスケートの人が回る時見る方向を決めておくって言うじゃないですか。そういう感じで、回転してもすぐに(投げられた)相手に視点を集中させることで、目が回ることを防げるらしい。私には無理かな。後ろ受け身ってのもあって、後ろに倒れた後に回転しちゃったりもできるのですが、そっちはさらに難しい。何度やっても普通の後ろのでんぐり返しみたいになって、それではダメらしい。  最近やっとちょっとだけ「投げ稽古」というのをやらしてもらえるようになりました。(こういう名前がついているかどうかは定かではない。)先生に、「投げて下さい」ってお願いして、何度も何度も投げてもらうんです。有段者がやると、受け身の人の体がきれいに空を舞う感じで、空中でくるりと回転して「バーン」と畳に投げつけられている。美しすぎる。私がやる場合、投げる先生の方も「こいつ本当に投げたら怪我をする」というのが分かってるから、かなり慎重にやってくれるんですよ。ですから見た目には、ただ「誘導者付きでんぐり返し」の練習をしている感じ。それでも何となく武道をやっている実感ができて、投げられるのが段々快感になってくるんですよ。「も、もっと投げて下さい・・・」とまでは言っていないが、ちょっとMな感じ。でも先輩方と話をしてると、皆投げられるの好きなんですよ。あれだけ美しく舞えれば違うでしょう。それは投げられたいでしょう。わかる、わかる。昨日も自分からお願いして投げられて、ちょっと肩が痛い。というのはやはり受け身が上手く取れていないせい。  受け身と言えば、自閉症の子は自分から能動的に人との関わりを始めるというのが難しい。合気道の「受け身」とは違う意味ですね。最近読者から「むっちゃ強引に自閉症につなげる」と言われるが・・・ま、いっか。自閉症の子のは基本的に受け身に人から関わって

標的行動を選ぶ

 この間名古屋地方の治療教育の方達と飲み会をしました。いるんですねえ、名古屋にも。治療教育の専門家が。しかもABAやってる人もいるんです。「頑張ってくださーい」、とエールを送りたくなってしまう(「お前が頑張れよ」こうじ心の声)。せっかく地元の人たちが集まっているので、今度から一緒に(できれば定期的に)勉強会を開く事にしました。しかしこれがこの結論に達するまで時間がかかったんですよ。皆なんとなく、「これから定例会のような物を開きたいな」という気持ちはどこかであったんでしょうけれど、でまあ初めて会うような人ばかりですから、何となく口に出しにくかったんでしょうね。結局そういう話になるまでに、夜中の1時半までかかりましたよ。飲み会も最後までいなきゃダメな時もありますね。さすがに深夜を過ぎるとみんな頭働いてなくて、「勉強会何する?」「さあ・・・。」「じゃあ場所だけでも決めて・・・。」というような生産性の低い会話になっていました。まあ東京だけではなく、地方でも色んな活動(飲みじゃなくって、定例会の方ね。まあ飲みでも良いけど。)が活発になってくると日本も面白いですね。将来は色々な地方の人を呼べるような大きな活動も計画出来るようになると良いですね。  話の中で「やっぱり標的行動を選ぶのが一番大変だ」という事が出ました。標的行動とは、私はターゲットと言いますが、焦点を当てて変えたい行動です。行動分析とかABAは問題がある場合、どんな行動を増やしたり減らしたりすれば、その人(子ども大人でも、ペットでも良い)の持つ問題が解決される方向につながるのか考えます。ちなみに一般の心理では行動を改善させるために、その背景にあるトラウマや認知などの心の問題を解決しようとします。いずれにせよ、問題の中核となること(行動でも心的問題でも)を特定して行くということは時間と労力のかかるものなんです。  比較的単純な例でいくと(治療が簡単ということではなくて、分析が比較的単純という意味)、場面緘黙(かんもく)症って聞いた事あります?ある場面(家庭など)では喋れる子どもが、ある場面(学校等)では一言も喋れないなどです。当然喋れないことから、色々問題が出てきます。いじめられることもあるかもしれません。それでも喋れないんです。だから問題です。これに認知行動療法を使えば、認知の仕方を変えようとします。例えば、十分

予測のつきやすい生活に変える

 今朝早くから大地震の警報がありましたね。日本に帰って来て携帯があんな音を立てたのは初めてで、寝ている所をたたき起こされた私も「あれ?アメリカとのミーティング忘れていた?でも携帯からの着信音の種類が電話やFaceTime、アラームとも違うし・・・」と、なんだか分からないなりにも尋常でない着信音にちょっとビビりました。でも「大地震だから注意」と言われても、何も出来ないですよね。「えっ?地震?」ってぼんやり頭で思いながら何もすることが思いつかない。一応テレビだけつけてみました。淡路島で最高震度になっていて、前回の阪神淡路島の地震を経験した人はさぞかし怖かったでしょう。私は大地震を経験していないのでこんなにぼんやりしていられますが、過去に経験された人はその時の気持ちを鮮明の思い出したのではないでしょうか。地震ってこう考えると本当に予測がつきづらいだけあって、怖いですよね。台風などはテレビ等で徐々に発達する様子がわかるけれど、地震だけはいつ起こるかわからない。今回のように寝ている時に来る場合もある。  自閉症の子どもたちって、見ていると本当に「いつ何が起こるかわからない。」生活をしていると思います。というのも、もちろん人によって違いはあるのですが、以前「当たり前の表示に気づく」で紹介したとおり、見なければ行けない所に目が向いていないために、起こりそうな事故を予測できない事が多い。例えばすぐ隣や後ろに人がいる状況だと、人がいると普通気づきますよね。自閉症の子は「人がいる」という認識がないままになってしまうのです。ですから直接ぶつからないにしても、突然その人の前を横切ってしまったり、リュックを背負ったまま振り返ってリュックで相手をこすったり、相手からすれば「おっとっと。何だこの子は。」となるのが当然です。子どもも突然注意されるので、びっくりしてしまう。でも、その人の存在すらに気づいていないのだから、本人からは予測しようがない。  言葉による説明も基本的に難しいことが多い。もちろん言葉が話せいない子は、これから何が起こるかが口で説明してあげられないため、常にその子にとっては将来何が起こるかわからない状態にあると思います。考えるだけでも不安な生活だ。ただしアスペルガーや高機能の自閉症の子で言葉が話せたとしても、口での説明だけではなかなか意味が汲み取れなかったりします。道順を教え

アメリカ自閉症教育における訴訟、倫理、システム改善

 日本のTPP交渉参加を受けて、その中でもISD条項といって参加する国の企業が(日本や他の参加国の)政府や自治体を訴訟できるようになる制度のことが話題に上がりました。今後TPPに参加するとなれば、海外の企業から日本国家が訴訟され、大変な債務を負うようなことになる可能性が懸念されています。アメリカでは訴訟が多いということを良く耳にするんじゃないでしょうか?訴訟をやりまくっている国なので、経験という意味ではアメリカが有利になるかもしれません。被害者の立場を自分で守るという姿勢自体は良いのですが、あまりに信じられないような訴訟の話も聞きますよね。アメリカの訴訟で一番信じられない話として聞いたのは、マクドナルドでホットコーヒーを注文して、お客さんが自分でそれをこぼして火傷して、マクドナルドを訴えたという話です。自分でホットコーヒー頼んでおいて、自分でこぼしたんだから、火傷するなんて当たり前じゃないの。訴えるか?しかもオカしいのは、これが訴えた側の勝訴に終わって、それからマクドナルドは「熱いので注意」とコーヒーのコップに書かなければいけなくなったとか。まったく常識を外れることにもお金と労力をかけていますが、基本は被害を受けたと思えば恥ずかしがらなくても訴えられるというのが鍵です。訴える側はそうする権利があるのです。しかもこの訴訟がいくつも行われることによって、アメリカでは自分たちの法律や社会のシステムまでも徐々に変えていく感もあります。  カリフォルニアで働いていた頃は、特に自閉症の教育において生徒の親が学校側を訴える訴訟や訴訟になりそうなケースをよく見かけました。 小さな市であるにも関わらず、その時だけで6件も平行して訴訟を抱えていました。カリフォルニアの学校区(市の職員)として働き始めて3ヶ月もしなかったんじゃない頃ですかね。私の入る前にあった出来事をめぐって学校側が自閉症児(生徒)の親から訴えられており、私も学校の仕事の一環として訴訟に巻き込まれました。  アメリカのABAで超有名な先生が親側の専門家の証人として呼ばれいて、私の運営するセンターにも(その生徒が過去に在学したということで)見学に来ました。親側の証人ですから、当然相手の弁護士から私のセンターの悪い所を見つけるように指示されて来たのでしょう。私も先生の本を持っており、できればこんな状況じゃない時に先生に会

Joint Attention: シグナルが強化子となる

 私の住んでいる名古屋の北区から出てちょっと車で行ったところになんですが、安くて新鮮なスーパーがあるんです。両親につれられて行ったのですが、値段が安いから「安物」を売っているかと思えば、客の数が多いので品物の回転が速いためか鮮度もかなり良い。良い商売してますね。ただ、客の数が多いんですよ。スーパーの大きさというか、中の通路の幅なんかは普通のスーパーかそれよりやや大きい程度なんですが、客が5倍いると考えてください。凄い人で満員電車状態。品物を見ていたら後ろからカートでおばさんに突っ込まれて、アキレス腱あたりにカートが強くあたって、「痛っ!」と声に出しました。しかし突っ込んで来たおばさん私の顔も見ずにいなくなりました。ええ?ぶつかられて声に出して痛がっても、視線すら合わせてもらえない?ありえないでしょ。周りを見わたしても皆自分の買い物の事に気を取られて、人がちょっとぶつかったぐらいでは見向きもしない。「い、いたい・・・。」ちょっとショックで私はその場で呆然と立ちすくんでしまいました。  ちょっと変わった事があった時って、何となく周りを見渡して他の人の承諾を探しませんか?そう言えば何十年も前の学生時代東京で電車に乗っていたら、隣の人(男性)が近くによって隣に座ったんです。隣じゃなくても場所があるのに。何故かと思ったら、突然耳をなめられたんです。は?と思いません?ちょっと起こった事が理解できなくて、耳を触ったら、ぬれていたんです。おえ。食事中だったらごめんなさい。でも、その人を見たら、何事も無かったように普通に前向いて、こちらの方も見ていない。今のは本当に起こったのだろうか?こういう突拍子もないことが起こった時も、周りに承諾を求めましたね。「皆見てた?今、この人、私の耳なめた?それとも何かの拍子に倒れて口がぶつかっただけ(それでよだれも垂れた・・・)?」と口に出しては言わなかったけれど、他の人も驚いて見ていないかを確認しました。でも、皆見ていなかったのか、しれーっとしてました。何となく状況が飲み込めなくて、電車を降りましたね。  視線合わせといえば、自閉症は一番できませんよね。視線を合わせる事自体が強化子になっていないから、その大事さが理解出来ない。こういうのって、Joint Attentionって英語では言われるんですけど、上の例をそのまま使えば、私がなめた人の方と傍

ABA: Momentum勢いに乗る

 先日おじいちゃんと花見に行ってきました。お昼に名古屋地方では有名なCoco一番のカレーを食べました。「ここに来るときはいつもこれ。」と言うので、皆でヒレカツカレーを頼みました。おじいちゃん夫婦を見たお店の人から、「ごはん多いですけれど、良いですか?」と聞かれましたが、「ええ。」と自信満々に答えていたので、そのまま普通どおりを注文しました。ヒレカツが2枚ものっていて、サラダまで頼んだ私はお店の人の言う通り、ごはん全部食べきれませんでしたが、おじいちゃんは完食してました。去年の11月に胃がんの手術で3分の2切除したばかりの88才とは思えない。しかし車に乗って花見に向かうと、突然喋らなくなりました。単純に食べ過ぎで苦しかったんですね。食い過ぎてしまったおじいちゃんは公園についても階段で座って、じっとしたまま動けなくなってしまいました。やはり3分の1残っていない胃で、あのカレーとかつの量は無理かな。一人でぽつんと座り込む姿に哀愁が漂う。反省タイム?ちょっと一人でそっとしておいてあげたんですが、突然いなくなっているのでどうしたのかと思えば、公衆便所で戻していたそうです。「すっきりした。」とゲンキ満々で戻ってきました。反省しただろうか?いや、してないな。これからもきっと食べ過ぎを続けるに違いない。  手術後私に車を譲り運転も諦めてしまっていたため、ちょくちょく外に連れて出かけるようにしているのですが、最初のうちは「いつでもええ。」「何にもいらん。」とかって遠慮して、私の誘いも結構断っていたんですよね。でも出かけ出したら結構連れて行ってもらうことが楽になったみたい。最近は勢いがついちゃって向こうから電話結構かかってくる。毎週のように出かけるのを楽しみにするようになっています。「毎週というのもつらいかも・・・」とも思うけれど、まあアメリカにいてずっと会ってなかったし、連れて行けるうちは連れて行こうかと考えています。   行動全般についても言えることですが、勢いにのるということが大切です。Behavioral Momentumっていう専門用語もあるくらいです。意外かもしれませんが、研究によってその効果も証明されている。どういうことかと言うと、起こりづらい行動があるとすれば、起こりやすい行動を何度か起こしてその合間合間に起こりづらい行動を挟むことにします。例えば、数字の課題が難し