標的行動を選ぶ

 この間名古屋地方の治療教育の方達と飲み会をしました。いるんですねえ、名古屋にも。治療教育の専門家が。しかもABAやってる人もいるんです。「頑張ってくださーい」、とエールを送りたくなってしまう(「お前が頑張れよ」こうじ心の声)。せっかく地元の人たちが集まっているので、今度から一緒に(できれば定期的に)勉強会を開く事にしました。しかしこれがこの結論に達するまで時間がかかったんですよ。皆なんとなく、「これから定例会のような物を開きたいな」という気持ちはどこかであったんでしょうけれど、でまあ初めて会うような人ばかりですから、何となく口に出しにくかったんでしょうね。結局そういう話になるまでに、夜中の1時半までかかりましたよ。飲み会も最後までいなきゃダメな時もありますね。さすがに深夜を過ぎるとみんな頭働いてなくて、「勉強会何する?」「さあ・・・。」「じゃあ場所だけでも決めて・・・。」というような生産性の低い会話になっていました。まあ東京だけではなく、地方でも色んな活動(飲みじゃなくって、定例会の方ね。まあ飲みでも良いけど。)が活発になってくると日本も面白いですね。将来は色々な地方の人を呼べるような大きな活動も計画出来るようになると良いですね。
 話の中で「やっぱり標的行動を選ぶのが一番大変だ」という事が出ました。標的行動とは、私はターゲットと言いますが、焦点を当てて変えたい行動です。行動分析とかABAは問題がある場合、どんな行動を増やしたり減らしたりすれば、その人(子ども大人でも、ペットでも良い)の持つ問題が解決される方向につながるのか考えます。ちなみに一般の心理では行動を改善させるために、その背景にあるトラウマや認知などの心の問題を解決しようとします。いずれにせよ、問題の中核となること(行動でも心的問題でも)を特定して行くということは時間と労力のかかるものなんです。
 比較的単純な例でいくと(治療が簡単ということではなくて、分析が比較的単純という意味)、場面緘黙(かんもく)症って聞いた事あります?ある場面(家庭など)では喋れる子どもが、ある場面(学校等)では一言も喋れないなどです。当然喋れないことから、色々問題が出てきます。いじめられることもあるかもしれません。それでも喋れないんです。だから問題です。これに認知行動療法を使えば、認知の仕方を変えようとします。例えば、十分な証拠無しで断定したり、悪い面だけを見たり、すべて自分の責任だと考えたりするような考え方を標的にして改善して行きます。サイコダイナミックス(心理力動、精神分析系)は親への敵対心だったり、知らない人への恐怖心だったり、心に潜在している(無意識の)深い部分の問題を見つけ出して解決することに焦点を置きます。これに対して行動分析・ABAでは、不安状態を弛緩(リラックス)させる方法を学んで徐々に色々な場面でリラックスできるようにしたり、会話につながるようなジェスチャーや視線合わせから徐々に、他の場面で喋っている自分をビデオにとって見せたり、ロールプレイ(練習)をしたりして増やしていく(強化する)等の方法を使います。この場合標的行動としては、「弛緩訓練(リラックスする行動)」「会話」「会話につながるような行動」などですよね。これだけ説明しても、何となく行動系は比較的焦点を当てるもの(行動)が簡単にみつかりやすいような印象を受けませんか?緘黙症の場合「話さない」ことが症状なので、「話す」ことを増やして行く。不安があるなら、リラックスさせることで話しやすくする。単刀直入。こういった事から、何となく解決策が簡単に見つけられる(そのために表面的である)セラピーのような勘違いをしてしまいがちです。「スキルを教えるだけ」というような理解の方も多いのではないのでしょうか?
 世の中の色々な問題がそうであれば良いのですが、残念ながら、当たり前と言えば当たり前ですが、問題と行動は必ずしも直結しない。問題解決に出来るだけ直接つながる行動を見つけて標的としたい、その行動の起こる・起こらない理由を分析したいと考えるのが、行動分析/ABAの名前に「分析(analysis)」がついている理由です。行動系の人たちは、意外かもしれませんが標的となる行動を特定するために大きな労力を費やします。簡単な選び方って実はそれ程ないんです。その人に重要な一般的な行動を特定することはそれ程難しくないのかもしれませんが、現実的には行動を変えるのにかかる時間やその人のいる状況、その人の能力の限界なども考慮しなければいけませんから、一番短距離でその人に最も理にかなった標的行動を見つけるのは一苦労で、現実的にはそれが簡単にはできないから途中で方針転換を迫られることもよくあるのです。私の教わった先生も言っていましたが、適切な標的行動を見つけられれば、問題はもう半分解決したようなもんなんです。臨床家は一生かかってそれを学ぶことになりますが、患者さん(生徒さん)それぞれが違うのですから、結局標的行動もそれぞれ違って来てしまうのです。私が自閉症の療育を始める場合よく言うのが、「私が色々教えて試行錯誤する過程を見て頂いて、それを見本に自分で解決策(標的行動とそれに一番あった教え方)を見つけることを学んで下さい。」と申し上げます。コンサルタントの所まで行って、「なんや、解決策ないんかい!」と思われるかもしれませんが、事実だから仕方ない。
 自閉症の場合「言葉が(うまく)話せない」とかといった大きな問題があります。明らかに複雑な言語の行動ですから、3つ4つの行動を増やすのではなく、何百何千の行動を増やさなければ行けないでしょう。これは言わば、「富士山に登る」というような大目標なので、とりあえずそういった大目標につながるような身近な目標から立てることになります。「富士山に登る」であれば、人によっては基礎トレーニングやストレッチから始めなければ行けないでしょう。大きな目標を立てると大変なのは、「進歩しているのやら、していないのやら段々わからなくなってくる」です。登山でもそうでしょう。段々どれぐらい登っているのやらわからなくなる。時には大きな岩や通りにくい場所を避けるために、一度下におりなければ上には向かえない場合もあるでしょう。そう言う時に、やはりコンサルタントのような人が近くにいて、「がんばれー。」「よくやっている。」「そっちの方向で大丈夫。」と言ってくれれば、辛い路も楽になるかもしれません。
 また、問題とその解決の鍵をにぎる行動との関係が簡単には見い出せないこともあります。「言葉が話せない」の場合、人の言葉を真似したり、単純な指示に従ったり、ということを教えるのは誰でも想像がつくでしょう。マッチング(同じ物同士を一緒に合わせる)などは、一見なんの関わりもないようですが、言葉でいう「リンゴ」と物のリンゴが同じ(マッチする)ということを将来的に教えるのですから、言語の基礎になる重要なスキルです。登山で言えば基礎筋肉のトレーニングのようなものでしょうか。子どもによっては、ある程度の基礎を教えれば自分から勝手に学んでいってくれる子もいますが、マッチングのような基礎がなかなか身に付かずに足止めをくらう場合もあります。同じ例を使えば、筋力トレーニングで筋肉があまりにつかないために、なかなか登山出発にいきつかないという感じでしょうか?その場合、いつまでも筋トレのような療育を続けるわけにもいかないでしょう。這ってでも良いから登れるところまで登った方が良いのかもしれません。そういった判断も簡単にはいかないでしょう。
 「友達ができない」というのはもっと難しいですね。富士山じゃなくてエベレストかもしれない。行動の背景にある「友達を作りたい」という動機がついてこなければ、意味がない。全然友達に興味関心のない子どもに、例えば「一緒に遊ぼ!」と誘う行動だけを教えても、一緒に遊びたくないんだから使うわけがない。「一緒に遊ぼって言え!」って言えば言えるようになるかもしれないが、その意味はない。興味関心を変えて行かなければいかない。とりあえず、他の友達と一緒のオモチャを使って同じ場所で遊んでいても良い(人を嫌がらない)ぐらいの目標から始める必要があるかもしれない。「友達を作る」ということには色々な行動があって、さらにそれがなぜ行動一つ一つがなぜ起こるのかまで分析して行かなければいけません。
 これだから、人から「こういう問題があるのですが、行き詰まったんですが、どうすれば良いんですか?」という質問をされると、困ってしまうんです。だって、その人にあった行動を選ばなければいけないから、解決策をいい加減には言えないでしょう?簡単に解決策がホイホイ出てくるコンサルタントもちょっと怪しいかもしれない。

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