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ABA:ディスクリートトライアル

 私が教室に使っている愛知県清須市の西枇杷島町というのは、昔ながらの建物を残している所なんです。私の教室も「古民家」を少しだけ改造したものと何度もどこかに書いたような気もしますが、古いといっても築30−40年というレベルではなく、実際にどれくらいの年数が経っているのかは知りませんが、少なくともその倍は、もしかしたら3倍経っているような、アンティークというか骨董品と呼べるまさに「古い」建物なんです。使えば使う程「味」がにじみ出て来て、愛着が湧いて来ます。教室の奥の方は、はっきり言って半壊状態なので使えないのですが、台所とかお風呂とかがあって、さらに奥は外に出て壊れかけた「離れ」もあるんです。昔の人は細く長い敷地に住んでいたんですね。そして実は2階もあるんです。これまでは大家さんの物が詰まっていたのですが、「ちょっと泊まったりしたい」などとわがままなを言ってみると、「使って良いよん。」(大家さんはこんなおバカな返事はしませんでしたが)ということなので、使えるように掃除させていただきました。もう何十年も使ってなかったんでしょうね。埃がすごかったのですが、一日で見違える程きれいになりました。窓枠とかが木枠なんです。雨戸も木でできてる。もちろん畳です。円卓がある。三味線がある。ダイヤル式(プッシュじゃなく回すやつ)の電話がある。小槌を持った恵比寿さん(小槌を持った神様って、大黒天だっけ?)がいる。ステキ。窓の低さが良いんですよ。畳に正座すると、ちょうど腰よりちょっと上くらいの高さに窓があるので外が楽に眺められる。風がよく通って気持ちいい。何となく外を眺めながら小説家にでもになった気持ちになる・・・(実際にはあまりにゆったりとリラックスするために筆ははかどらないため、妄想のみ)。   さて本題に入って、「伝統的」と言えば、ABAのディスクリートトライアルもかなり広まって来て、こういわれても良いぐらいになって来たのではないでしょうか?ちなみに翻訳すると「不連続試行」なんて言われますが、日本語にして意味が分かり易くなっていないと思うので私は使いません。基本は1、2、3です。1、短く明確な指示を与える(行動のきっかけがある)。2、子どもがそれに従う(子どもの行動がある)。3、褒める(子どもにとって良い事がある)(子どもの行動を強化するような結果がある)。これを実際に何百回、何千回も

ABA消去:パート2(問題解決)

 実はもう2月程前になりますが、うちのひまわり教室がネズミの被害にあったことがあるんです。「古民家を使っている」という事実を甘く見ていたんでしょうね。よく考えれば、色々ネズミの通れる穴みたいなものもあるでしょう。油断していました。というか、ゴキブリはあってもネズミが家に入って来るというような経験がないので、ちょっとと言うか、かなりショックでした。子どものおやつに出したり、強化子に使ったりするようなお菓子が用意してあったんです。小さな個別包装になっているようなやつです。半分開けたダンボール箱の中に入れて、棚の一番高い所に置いておいたんです。週末明けで教室に帰ってお菓子の箱を見ると、ダンボール箱のなかにいっぱい小動物の足跡、抜け毛、排泄物が落ちていていました。今想像しただけでもぞっとしますね。よく見るとお菓子の個別包装の袋に丸く穴があいて、その中からお菓子を出して食べていたようなんです。まさかプラスチック包装やアルミニウムっぽい包装も食い破るなんて、その時点で私の想像をはるかに超えています。「こ、これは・・・。ネズミってもしかして病気をもたらす?ネズミが触った所を消毒しないと、教室の子どもが二次感染するかも?」それから3時間くらいかけて掃除、消毒、掃除の繰り返しでしたね。こういう時一人の商売って、嫌ですね。誰にも話せずに黙々と掃除なんて、「くやしー。」としか言いようがない。  少ししてさらに思いついたのが、「も、もしかして・・・。またやって来るかもしれない?」ホームセンターへダッシュしましたね。ネズミ駆除関係商品コーナー直行です。ネズミの嫌いな臭いのするものや、ねずみ取りのマットも。でも、これはゴキブリホイホイのでかいバージョンみたいな粘着版です。「でもこれって、ネズミが捕れたらどうするの(見たくねー)?しかも、ネズミが一匹捕れたからと言って、一匹見たら何十匹もいるんじゃないの(それって、ゴキブリ?恐怖の大量ネズミの想像図)?」そう考えたら、駆除するよりも食べ物をなくす方法にしました。取りあえず食べられそうなものは、固いタッパーウェア系の入れ物に入れる。食べ物とそのにおいさえしなければ、ネズミが来る意味がない。来ても長居しない。結局の所それから何ヶ月かネズミは帰って来ていません。でも月曜日になって教室を見ると、ちょっと怖くなります。時々古民家の土壁から落ちた土を床に見

療育家として残したいもの

 実は先日私の10年来の友人が亡くなりました。ほぼ同年代でしたので、初めに知らせを聞いたときはそんな事があるとは全然想像さえしていなかったので、文字通り「は?」と聞き返してしまいました。その後少し慌てました。  友人はまだABAなどという言葉は知られておらず、自閉症への教育なんてあまり話されていなかった10年以上も前から療育の仕事を立ち上げられた方で、立ち上げに際して私がいたウェスタンミシガン大学へしばらく来て療育を見てもらったり、アメリカで一緒にワークショップに参加して私が通訳したりしました。「大きな会社にするつもりはないが、療育する側が生活を成り立たせるだけのしっかりとした収入のある、質の高い信頼のある会社に仕上げたい。」と言っていたのを覚えています。日本に帰って来て会いに行くたびに、会社が徐々にうまい方向へいっているのが目に見えました。  通夜に行って友人のお母さんから初めて急性のがんで亡くなられた事を知りました。入院して10日という事です。あまりに事が早かったので、連絡する機会もなかったのでしょう。友人等の若い人の葬儀には初めて参加するので 、戸惑いました。親に相談して喪服や数珠等は用意できたけれど、すっかりハンカチを忘れていて、涙をうまく拭えませんでした。通夜では療育を受けた自閉症の子ども達も大きくなっていて、「生き返って来てね。」などと話しかけていました。帰りの電車で、一緒に葬儀に参加したであろう親御さん達の話が聞くともなく耳に入ってきました。「学校でのトラブルで本当に困って相談してみたんだけど、わざわざ学校にまで行ってくれたんだよ。先生と色々と一緒に話してくれて、一発で問題が解決したよ。あの人はカリスマ性もあったし。」本当に、生徒さん達やお母さん達の人生に大きな影響を与えていたのですね。こういった伝説は語り継がれていくでしょう。  帰りの新幹線で私と友人に対してビールを一本ずつ買いました(結局私が2本飲んだという事ですね)。最後にもう一回でも一緒に飲めたら・・・。仏壇に食べ物を添えるのは、こういうことなんだなあと思いました。自分のためにするんだなあ、と。人生いつ何があるか分からないですね。小さくても良いから、質の高い、信頼のある会社。お母さん達からその療育の成果が語り継がれるような仕事。実際ところは本当に一握りの生徒さんや親御さんを満足させられれ

考えるという言語行動

 毎年5月の終わりには、アメリカで行動分析学会があるんです。5月の終わりはどこで開催されても気持ちの良い季節ですね。今回は入国でいじめられました。「職業は?」と言われていつもこまります。「自閉症の子どもを教えています。」なんて言うんですけど、世の中には自閉症って知らない人もいますよね。 「では教員か?」と言われると教員免許持っていないのに教員だとは言えない。「サイコロジスト(心理士)か?」と言われると心理士の免許も取らなかったのでそうとも言えない。かと言ってBCBA(認定行動分析家)なんて言っても、自閉症療育の関係意外はまだ一般には知られていないので、一から説明する気にもなれない。にこやかに、「発達障害の子どもを教えています。」といっているのに、「職業を聞いてるんだ職業を!」「そこへ立て。」「お前は俺の質問をしっかり聞いていないんだ!」「そんな微笑みなんていらないんだ!」「お前がちゃんと答えないから、後で待っている人の時間を取るんだ!」なんて次から次へと言われました。お前がちゃんと聞いていないんじゃないか。明らかに自分の力関係を誇示したいタイプなんでしょうね。入国早々いきなりこれじゃあねえ。ああ、アメリカに帰って来たなあ。丁寧に扱ってもらえる日本が遠い・・・。  今年はポスター発表しました。今回はアメリカにいた時にした、ちょっとした基礎実験を発表しました。私は臨床にいるので基礎実験なんてしたことないんですが、今回は人の言語行動についての興味を楽しんで追求してみました。私は人の言語行動って、見えない部分が多いと思うんです。つまり頭の中で考えるということです。私は一日中色々な事を考えていますし、そうすることで得になることが多い(何らかの強化がされている)から考えているんだと思います。思考というものも、一つの行動として捉えることができると思うんです。ただ、見えないからあまり研究されていない(笑)。行動主義というと、見える物に焦点を置くような印象があると思うんですが、見えないことを無視せず、むしろ積極的に分析する人たちをラディカルな行動分析家と言います。今回の学会でも、そういった見えない部分に目を当てた研究の発表がいくつかありました。  認知心理学の人なんかは、人の認知を行動の説明として利用します。例えば、自己認識が「私は太っている」だから、実際には痩せていても拒食をし

時間をかけて培うスキル

 しばらくぶりにブログ再開です。2週間以上ですね。アメリカであったABAの学会に参加していたのと、私事ですが心痛いことがありました。この事に関してはまた他の機会にブログで紹介させて頂きますね。これからは、またちょこちょこずつ情報を紹介して行きますので、よろしくお願いします。  昨日奥田健次先生がまた朝のテレビで紹介されていましたね。今回は15分くらいかけて、しっかりと奥田先生のことを追われていて良かったと思います。「ABAって一体なんなんでしょう?」というような問いかけと回答がされていて、本当にこういった機会で徐々にABAのことが紹介されるようになると嬉しいです。ABAは自閉症関係以外一般的な知名度はまだあまりないですから、奥田先生のような先生の出られるテレビをきっかけに、一般的な興味が増えると良いなあ。ちなみに奥田先生とはアメリカのABAの学会では飲み会の席でご一緒させて頂きました。実はそこで昨日のテレビ放映についてを教えて頂いたんです。気がついたら以前一緒にテレビに出ておられた杉山尚子先生も一緒に席にいて、有名どころに囲まれておりました。特に杉山先生とは毎年学会でお世話になっていますが、お二人とも別にテレビに出られたからと言って変わりなく、「だからどうなんだ?」という感じでしたかね。でも何となくテレビって、ウキウキしません?ちょびっとウキウキ(ちょびウキ?)でテンション上がったのか、調子に乗ってお二人の証拠写真まで撮ってしまい、よく考えれば迷惑でしたね・・・。  テレビではどうしても華やかなことやドラマチックなことがが取り上げられる傾向があるので、何となくすべての問題が速やかに解決されてしまうような印象になってしまいますよね。テレビで紹介されていたお母さんは、「トイレトレーニングの相談をして他の専門家の方は様子を見ましょうというような事ばかり言われるのに、奥田先生は具体的なアドバイスを言ってくれて、そのアドバイスに従ったらすぐに問題が解決した。こんな事を言ってくれた専門家の方は一人もいなかった。」ということを言っていました。まさにドラマチックな解決です。「問題がある」→「専門家に相談する」→「専門家がアドバイスする」→「アドバイスに従う」→「問題が解決する」というようなイメージでしょうか。まあ基本的にはそういうことなのかもしれません。私もアドバイスをして、同