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自閉傾向と問題行動の波

  先日ジムに行ってエクササイズをしました。エクササイズはずっと続けていたのですが、子どもができてから体力的にも追いつかずに、まあ要は怠けていたのですね。気づけばもう7, 8年はやっていないことに気づき、子どもが大きくなってくるとやっと自分に使う時間ができるのかと、少し感慨深くなりました。子どもが地域の老人から紙飛行機の作り方の教室のようなものに行っている間、え、親子同伴じゃなくて良い?え、その間何してても良いの?ということで自分のために時間を使ってみました。人生時間がある時もあれば、そうでないときもある。いろんな局面がありますね。  発達障害の子どもを持つと、中々親の時間が取りにくい。長期的に考えると、意図的に自分の時間を作らないと長続きしないというか、頑張りすぎてガックリくるときもある。特に自閉の子どもの場合、問題行動が出てくる波があったり、突発的な行動の変化があるときがあり、親はそれに備えておく必要もある。特に、コミュニケーション力がそこまでではなく、かつ「こだわり」が強い傾向のある子どもの場合、やはりその「こだわり」が分かってあげられず、問題行動につながる時がどこかで出てくるのは、仕方がない。時々大きな問題行動の波がやってきて、辛いと思わざるを得ない時期があるのは、誰のせいでもないのです。  どういうことかと言うと、例えば子ども自身でしっかりやりたい、最後までやりたいと言う「こだわり」があると、勉強や学校行事の練習(運動会や生活発表会の練習)などで、頑張りすぎてしまう傾向があります。「疲れたら休めば良いじゃない?」と言うのが普通の反応なのですが、しっかりやりたい「こだわり」によって、気づいたときには爆発するぐらいストレスを溜め込んでしまうのです。かつ、コミュニケーションが上手でない子どもの場合、感情表現として表情に出にくいとか、言葉でももちろん言えない場合が多いので、普通の表情をしていてストレスが溜まっていることすら分かりづらい。例えばちょっと勉強課題が難しかったとか、いつもなら大したことのないきっかけにより突然大暴れになったりして、「ああ、辛かったのね」と気づくことになります。本当の理由は生活発表会で頑張りすぎているというストレスの積み重ねだったりするのですが、それが勉強課題の難しさで大暴れになるのですから、周りから見ても大暴れの理由すら分からないことも多

自閉と感情表現

  健康診断で血圧で引っかかりました。1回目に測った血圧が正常値だったから良いじゃんと思うのですが、2回目ダメなら「精密検査」と検査結果は出るんですね。心臓機能は自覚症状もなく悪くなることもあるし、やっぱり精密検査を受けた方が良いか、うーん面倒臭い。まあ年齢とともに色々と体の不具合が出るのも仕方ないですね。  自覚と言えば、自閉の傾向がある子どもたちの多くが、自分の気持ちに対しての自覚が薄いと私は考えています。表情がもともと薄いというか、気持ちの上がり下がりが顔に出ない子どもが多くて、本人も自身の気持ちに自覚がないのです。周りの大人は表情から気持ちが読めないので、気持ち自体がないと勘違いしてしまいます。気持ちのあるなしは(心の中のことなので)結局は本人にしか分からないのですが、私の療育の体験からすると、感情自体がないのと仮定するより、気持ちへの 自覚 がないと捉えた方が行動の説明がつきやすいです。例えば人の物を壊すという問題行動がある場合「もしかすると、自分だけ物がもらえていないことを羨んで、それが欲しくて物を壊すという行動に出たのでは?」と推測すると、問題行動の対処は「それが欲しい」と要求させることだとわかりますし、かつ対処によって問題行動がなくなれば、その欲しい・羨ましい気持ちがあったこと自体の証明になります。他にも、感情の爆発(癇癪や大暴れ)があった時に「もしかしたら辛かったのかもしれない」と大人が気づくきっかけになることもあります。  自覚がない子どもにいかに自身の気持ちを表現し自覚させていくのかは、教える側からは本人の気持ちが見えませんから、難しいですが重要なプロセスです。まずは状況と行動を観察して、問題行動の前に何が起こっているのか、感情を引き起こす何かがあるのか、しっかりと汲み取ることが一つ目のステップになり、ABA的には機能分析とも言います。また小学生になって大きくなってくると、いろんな形で頭の中のことや気持ちを表現させる手段を増やすことで、周りの大人も本人の心の中の変化に気付きやすくなります。絵日記はその手段としてよく使います。言葉にはなっていなくても絵を描くことで、楽しいことやストレスのあったこと、心の変化を表現し、周りに理解してもらうきっかけになるので、頻繁に小さなことから絵に描かせていく練習をさせます。例えば本を読んだ後で感想の代わりに絵を描

ABAと遊び中心の学習

  9月から私の子どもを転園させました。家庭の諸々の事情により、今までは送り迎えと給食のついた(親にとって楽な)幼稚園に行かせていました。親の余裕が少し出てきたので、送り迎えも給食もなくても、親にとって納得のいく教育をしてくれる幼稚園を選びました。転園前の幼稚園は規律を重んじる幼稚園で、転園後は遊び中心の遊んでばかりの幼稚園。子どもにとっては大転換です。通い始めて3日で違いが出ましたね。前の幼稚園に送り迎えに行くときは、うちの子喋らないんです。私が時々信号無視すると「赤だよ」と教えてくれますが、それ以外はほぼ無言。新しい幼稚園に変わって3日でよく喋るようになりました。「こんなに喋る子だったんだ」と思います。よっぽど緊張して幼稚園に通っていたんでしょうね。  ABAは、特にDTTという机上のレッスンをやる時は、「コンプライアンス」と言って先生の言うことを聞いて、その指示に従うことを教えます。なのでABAをやっていると規律を大切にするイメージが一般にはありますかね。でもABAには遊び中心のセラピースタイルもあり、どちらが良いとABAの中で決まっている訳ではありません。どちらも教え方のツールなので、場合に応じて適切に使うことが望ましいのです。ただ、遊びを中心に教えるのは、教える側の高度なスキルが必要です。「ただ遊んでいるだけ」に見える中にどれだけ学習の要素を取り込むことができるのか?上手なセラピストほど、ただ遊んでいるだけにしか見えません。特に自閉の子どもは興味の幅が狭く、同じことを繰り返してしまって遊びが広がらないのが一般に障害の特徴ですから、どうやって遊びへのモチベーションを高めるのか?どうやって遊びを柔軟で広がるものにしていくのか、セラピストの腕が試されます。  一般教育でも同じです。私の子どもの幼稚園も、「ただ遊んでいるだけ」のようで、実はそこに先生方のスキルが光るものがあります。例えば生活発表会でも、私の子の通う幼稚園では、子どもが発表の内容を全部決めるんです。子どもたちが脚本家になり、自分達の好きなものをみんなで作り上げる。これを成功させるには、子どものモチベーションを上げる力、皆の意見をまとめる力など、先生には高度なスキルが必要です。名古屋でも一番と言っても良い歴史のある、有名な幼稚園です。昔は家柄の良い家庭しか子どもを通わせられなかった幼稚園だったと聞きま

ABAと夏休み:頑張りと楽しみのバランス

  夏休みもそろそろ終わりに近づいてきました。夏休み、お子様をお持ちの皆様は楽しめましたでしょうか?コロナになってから数年になりますが、今年の夏休みもコロナの第七波とがっつりかぶってしまいましたよね。特に8月からは感染者数が多くなり、もっぱら近くの河原ばかりに出かけて虫を取ったり、自転車の練習したり、運動したり。今年は幼虫から成虫になったばかりの白いセミも見つけました。バッタもトンボもいっぱい捕まえました。子どもに、どこに行きたい?と聞くと「河原」と即答するところがかわいいような、可愛そうなような。  ABAをやっていると、特に早期集中介入というのは、1日6時間を週に5日とか、とにかく起きている間中集中して学習させるために時間を使う。だから、ともすると楽しむ時間なんかないような勘違いをされる場合もあるのですが、実は必ずしも「介入(療育)=辛くても頑張る」ということではなく、理想的には「介入(療育)=楽しみの中に頑張りが散りばめられている」状況になることなのです。ちなみに私の指導教官は、「強化子の海で泳いでいる状態」が療育であるべきだと話していました。まあそれは現実的ではないにしても、できる限り楽しい方が良い。  発達に遅れのある子は、何事にも苦手意識が強い場合が多く、特に無理にやらされそうな匂いがするだけで、逃げ出してしまう場合もあります。例えば運動神経の良くない子どもの体力を伸ばそうと思った場合、苦手でもやはり運動させてあげて体力を伸ばしたい。しかし、とにかくダッシュの練習だ!と嫌がる子どもを走らせるのは、苦手意識をさらに強めてしまうこともある。走ることが目的ではなく、大好きな虫を捕まえるために自然にダッシュをしてしまうようなやり方の方が、特に運動が苦手な子どもには向いている。療育も同様で、できれば子どもの楽しい活動をやりながら、その中に頑張りの部分をバランス良く散りばめたい。ただし難しい点は、「子どもの楽しい活動の中に」といっても、発達障害(特に自閉の診断)があると、そもそも楽しい活動が中々見つからないことが多い。特に人と一緒の活動は、輪をかけて苦手な場合も多い。だからこそ、夏休みのような時には特に、人と一緒にやって楽しい活動を体験して、その喜びを見つけることにも時間を使いたい。  また、早期集中が終わって小学生に入ってからも、当たり前ですが、子どもってすごく伸

強度行動障害に対する行動分析学からのアプローチ

  しばらく前にも紹介しましたが、先のABAサービスと名乗る人物による傷害事件が起きたことにより、行動分析学会が7月31日に無料のオンライン公開講座「強度行動障害に対する行動分析学からのアプローチ:より正確な情報提供のために」と言うものを発信しました。それが100名限定ですぐに埋まってしまったとのことで、その後にオンディマンドでも視聴できるようになり、私も視聴させていただきました。  講演内容が良かったです。2時間半くらいの動画なのですが、はっきり申し上げて内容は難し目です。ABAを専門とされていない方が、最初から最後まで全部見ようと思うと挫ける場合もあるかと思います。しかし中でも武藤先生の話は非常に分かりやすく具体的で、ABA専門の方でも興味を持って視聴していただけるかと思いますので、興味はあるけれど挫けやすい方や時間のない方は是非とも武藤先生の部分だけでも視聴されると良いと思います。  武藤先生のご講義は、容疑者の方(…方って敬語を使う必要が?でも、まだ疑惑が確定した訳ではないので、犯人扱いはダメですよね。)の、youtubeにアップされているその方の講義の動画を出しならが、それを丁寧にABAの視点から解説されていました。講演会のようなこともたくさんやられている方なんですね。その方は、動画の中で非常にたくさんのABAの専門用語を使って講義をされているようで、それなりに勉強はされている感じでした。部分的にはABAの専門家から見ても「そうだよね」と言えるところもあり、何がおかしいのかな?と言うところから始まって、徐々に「ええ?それは違うんじゃないの?」となる部分が出てきて、また「その古い情報で…」と言うところもあり。普通に考えたらABAを使って「生徒に暴行」ってことはあり得ないのですが、結局は、ご自身の独自のセラピーのやり方を確立されており、それをABAの専門用語や専門書を引用して「正しいもの」と理論武装しているだけで、実際の「ABAのやり方・スタンダード」からは、かなり外れてしまっているものになっているようでした。  ABAの中でも「自己流」はある程度部分、あって良いかと思っています。しかし、それが「本筋」からあまりにかけ離れて元のものが分からなくなると言うことも、可能性としてはあることかと思います。私自身も、ABAの理論に基づいて、私なりの療育をしている部分もあ

読書感想文ってどう書くの?:課題図書から感想文へ

  うちの「思考表現のクラス」の7月の課題は読書感想文でした。今回選んだのは課題図書の一つでもある「ぼくの弱虫をなおすには」を選びました。1976年のアメリカのジョージア州が舞台になっていて、登場人物がトレーラーハウスに住むという状況設定や、黒人の人種差別がテーマになっていることなど、どうしても日本人には馴染みが薄く入りにくい感じかなと思っていたのですが、違いました。登場人物がちょうど4年生から5年生に変わる時の、思春期前の子どもの気持ちが上手に描かれていて、「いじめ」「怖いものの克服」「友情」など、文化を超えて共感できる内容が読んでいる日本の子どもにもすんなり入ってくるのは、翻訳の方が上手いんでしょうね。大人も楽しめました。とてもお勧めです。  トレーラーハウスという、日本で言えばプレハブとか小さな集合住宅的な、低収入の家庭が住むイメージのところに住む主人公、怖いものがいっぱいあって、イジメられがち。親友と一緒に怖いものをなくしていこうという設定。子どもの時ならではの、冒険的な楽しさもあり、怖いものもたくさん出てきて、最後まで目が離せない。私のところに来るような生徒さん、やっぱり挫けやすくて、怖いものもたくさんある子どもが多いです。主人公に共感できることもたくさんある。  教室で読書感想文をするときには、1つ1つの章を読むごとに、感想を言ってもらいます。どんな下らない意見に思えても良いので、まずはその時々の気持ちを口に出して、それをノートに(付箋に)書き留めて、気持ちを残していく。最後まで読んで「感想」と言われても、その時の気持ちを忘れてしまうことが多く、まずは付箋にノートとして残して、気持ちを形に残すことから始めます。  KJ法って知ってますか?ビジネスとか研修とかでよく使うもので、皆の意見を1つ1つ付箋にしてホワイトボードに貼っていく。それを同じようなもの同士グループにまとめて行くんです。なので、自分の感じた気持ちの中でも、同じような気持ちをグループ分けしていくと、全体としてまとまりのある感想文の骨格が出来上がる。やはり最初のうちは、大人がそのグループ分けの部分はお手伝いが必要になります。感想文ですから「子どもの気持ち」を大人が勝手に考えてしまうようなお手伝いは良くない。でも、最初からまとまった構造の感想文なんてかけるわけがないですよね。こうやって自分の頭の中

虐待とABA、そして認定資格

  7月23日、日本行動分析学会からメールが届きました。内容は、「応用行動分析学に基づく療育サービスの提供をうたった団体による傷害事件」が報道されたとのこと。要は、ABAを語ったサービス提供者が傷害事件を起こしたということです。今後ABA療育に対する偏見が生まれる危険性があるため、それを防ぐために公開講座(無料)が緊急企画された( https://drive.google.com/file/d/1HrRbOxnJ86uPSTXLV8TRbh9OfzJgfc-M/view?usp=sharing )というものでした。  私もこの事件のニュースが報道されたことについて知らなかったので調べてみると、「手足を縛った上で頭を殴るなどの暴行を加え、監禁した」などとyahooニュースに出てきて、これが本当の事実であれば、こんな恐ろしいことが行われるなんて、怖い限りです。どうしてこのようなことになったのでしょう?  大きく言えば、自閉の傾向のある子どもや若者は、他人とコミュニケーションを取ることが苦手です。気持ちがうまく伝わらないイライラから、人に対する強い攻撃行動や、自身に対する攻撃(自傷)行動に至ってしまうことも、残念ながらしばしばあります。人のことを攻撃してしまう行動は、本人のためにも将来絶対に続けて欲しくないので、「絶対にそれは良くない」ということを固い表情や強めの言い方で、私は伝えます。楽しい活動をしていれば、一旦それも中断します。もちろんそれ以外の場面で、適切な行動を何十倍も褒めることが前提として必要です。コミュニケーションが難しい人に対して、手足を縛るとか、殴るとかは、もちろん人権上あってはならないだけでなく「人とコミュニケーションを取ろう」という動機を余計に下げてしまいます。今回の事件は、問題行動があったから手足を縛ったのかも不明なので、一体どのような経緯でそんなことになったのやら。  本来ABAを使う場合、問題行動がある場合、どうしてそのような行動をするのか?行動の起こる理由を分析して、その理由に対応した策を考えます。(行動の起こる理由の分析を機能分析と言います。)例えば欲しいものが手に入らないなら、要求する方法を教えます。活動をやりたくないのであれば、活動自体の選択肢を増やしたり、簡単にしたり、工夫を考えます。問題行動が起こる理由そのものをなくしていく方向性が最