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8月, 2014の投稿を表示しています

会話のスキル

 先日久しぶりに献血をして来ました。私献血好きなんです、と言ってもやはり年に何度も行けませんね。やはりそれなりに時間に余裕がないとできない。体力的にもある程度余裕がないと行けない。言って気づきました。あまり余裕のない生活を送っていたんですね・・・とほほ。この余裕を感じにいっているのかもしれない。でも献血すると何となく人のためになった気がしません?特に夏休みなんかは事故等が多いから、絶対血が足らなくて困っている人がいるはずです。しかも献血ルームって奇麗な所ありますよね。色々ただでジュースとかもらえるし。高校生のときは、「ただ」のお菓子やジュースをもらいに友達と献血に行っていました。行くたびに色んな新しいシステムが導入されていて、感心します。今回は、席の準備ができるとピーピーって機械がなって知らせるというシステムが導入されていました。レストランの席待ちみたいな感じですね。こういう色々なシステムがあるのは良いのですが、ベルトコンベアー式で色々な検査を通り抜けるので、次の人に会うたびに「名前、生年月日、血液型」と聞かれるのはイヤですね。まあ血液に間違いがあっては行けないので当たり前なのですが、やはり大きな声で生年月日を言う、しかも繰り返すのが嫌な年齢になりましたね。 やだやだ。  繰り返すと言えば、自閉傾向がありながらも言葉をよく話すようになった子どもで、よく言われることなのですが、「同じことを何度も繰り返してしまう。その場にそぐわなくても、言ってしまう。」ということです。これは、非常に複雑な問題だと思いますが、今回は果敢にチャレンジしてみます。 これは、会話の技術という事以上にまず、会話の動機が絡んで来るからだと思います。会話をするということは、以下の二つの動機が必要だと思います。 動機1:相手(聞き手)の注意を引きたい。 動機2:話したい内容がある(共有したい経験、思い出したい経験がある)。  「同じ事を繰り返してしまう」というのは、もしかしたら、相手の注意を引きたいと言う動機1はあっても、話す内容がないという動機の2が不十分である(話す内容が一つしか思いつかない)のかもしれません。逆に話したい内容があっても、相手の注意を引きたい動機がなければ、会話ではなく独り言を繰り返すことになるかもしれません。やはり、どちらが欠けていてもだめなのでしょう。動機が絡んでいると

問題行動(癇癪):要求が通ることとの反比例

 教室の時間の合間におやつ代わりにゆで卵を食べようと思いました。冷蔵庫に入っていたから、やっぱりちょっと暖めようかな。電子レンジでゆで卵を暖めると、爆発するって聞いたことあります?怖いですよね。でも、ちょっとだけなら大丈夫かな。少しだけ暖めて・・・、ほら、やっぱりちょっとなら爆発しなかった。レンジを開けて手に取ると、お、ちゃんと暖まってる。いっただきまーす。ばん!風船が割れるくらいの音がしましたかね。何が起こったの?手のひらにあるはずの卵は跡形もなく、卵の細かな残骸が床や壁に散らばっています。しかも卵の飛び散り方が半端じゃなくって、まさに爆発。部屋中にゆで卵の小片がばらまかれました。後から見ると部屋の反対側の壁にまでゆで卵の破片がついています。鏡を見ると髪の毛や服にも一杯ついてる。もしかすると、ちょっと目に入ったかもしれない。こんなことで失明しなくて良かった。ああ、生徒来るから片付けなきゃ。しかもぞうきんで床を拭くと、黄身が床のフローリングの板の隙間に入る!ああ、そんな所は・・・。あとで臭くなったら絶対やだ。せっかくの短い休憩時間、エネルギーチャージしてゆったりする予定だったのに、これでその時間も掃除に終わる・・・。とほほ。しかしこの歳になってこんなにビックリすることあるか?というぐらい驚きましたよ。本当に漫画みたいなことってあるんですね。  爆発と言えば(相変わらずなんでも自閉症につなげる)よく癇癪起こす子っていますよね。それから小さなことでもすぐに、「うきー!」ってなってしまう子。例えばオモチャで遊んでた所に、お父さんがアイスクリームを買って帰ってきて、見た瞬間それに向かって走って行って、手を伸ばすとするじゃないですか。オモチャ持ったままの手でアイス食べようとしてアイスを落としちゃかわいそうなので、「ちょっと、オモチャもったままの手で。」と言うと、「うきー!」と床にひっくり返る。食べるなって言われた訳でもないのに、この反応は一体何だ。お前は猿か?せっかく好きだと思って、楽しい経験を多い浮かべて買って来たアイスクリームなのに、一気にこれで30分も泣き通す。こんなことって、結構ありますよ。  こういうように、一触即発ですぐに癇癪を起こす子や、物を投げる子、「イヤ!」等と叫ぶ子というのは、思い通りに事が運ばない、自分のやりたいことが言えてない、言わば「食べたい物が

社交性スキル:子ども同士のコミュニケーション

 私は名古屋隣にある清須市という所に古民家を借りて教室に使っているのですが、そこは昔の美濃路という街道で町並みも古く、良い感じで気に入っています。名古屋駅から6−7分で電車に乗ればついてしまうのにコンビニもなく、逆に昔からの和菓子屋さんなどの個人商店がぽつぽつと見られます。近所の酒屋も例に洩れず、古くからある個人商店のようで、店番のお婆ちゃんも年期が入っています。教室にお客様が来る時にそこの酒屋でペットボトルのお茶を買いました。領収書を頼んだところ、領収書の宛名をさしてお婆ちゃんがこう言いました。「きゃーとーてちょーでゃー。」私の頭の中では「?」が飛んでいました。「きゃーとーてちょーでゃー」とは、一体何?名古屋生まれの私でもさすがに3秒くらいかかりましたかね、これを翻訳することができました。「(値段は書いたけれど、宛名の部分は空欄にしておくのでご自分で)書いといてちょうだい。」という意味でした。分かった時は、「よっしゃー!」と何か事件を解決した気分でテンションが上がりましたね。そんな名古屋弁で話す人には会った事がありません。というか、名古屋で生まれ育った人でも意味が分からないような名古屋弁が存在することは驚きでした。コミュニケーションとは、面白いものです。  自閉症の子どもには、大人には色々と要求をしたり返事をしたりもするのに、子ども相手には話しかけることもなく、話しかけてもしれーっと無視することが多いのです。子ども同士で話すようになって欲しいとは思うのですが、これはかなりの難題であることも多いです。あるお母さんから、「(自閉症児が自分の)弟の持っている物が欲しい時に、かして、って言えるのだけれど、ダメと返答されると、かして!って強く言いながら奪い取る。もしかしたら、幼稚園でも同じ様に人から奪っているかもしれない。どうしたら良いんですか?」と相談を受けました。子ども相手では、「かして」とお願いしたからと言って、もらえるとは限らないんです。「かして」という要求自体が消去されてしまう(言ってももらえないから、言わなくなる)ケースもかなり多く、こういう経験を通して自閉症児は、子ども相手には要求しなくなるんでしょうね。   上手でないソーシャルトレーニングを受けると、何でも単純にパターン化してしまいます。例えば、「断られたら、一分程待ってから、もう一回聞けば良い。」とい