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虐待とABA、そして認定資格

  7月23日、日本行動分析学会からメールが届きました。内容は、「応用行動分析学に基づく療育サービスの提供をうたった団体による傷害事件」が報道されたとのこと。要は、ABAを語ったサービス提供者が傷害事件を起こしたということです。今後ABA療育に対する偏見が生まれる危険性があるため、それを防ぐために公開講座(無料)が緊急企画された( https://drive.google.com/file/d/1HrRbOxnJ86uPSTXLV8TRbh9OfzJgfc-M/view?usp=sharing )というものでした。  私もこの事件のニュースが報道されたことについて知らなかったので調べてみると、「手足を縛った上で頭を殴るなどの暴行を加え、監禁した」などとyahooニュースに出てきて、これが本当の事実であれば、こんな恐ろしいことが行われるなんて、怖い限りです。どうしてこのようなことになったのでしょう?  大きく言えば、自閉の傾向のある子どもや若者は、他人とコミュニケーションを取ることが苦手です。気持ちがうまく伝わらないイライラから、人に対する強い攻撃行動や、自身に対する攻撃(自傷)行動に至ってしまうことも、残念ながらしばしばあります。人のことを攻撃してしまう行動は、本人のためにも将来絶対に続けて欲しくないので、「絶対にそれは良くない」ということを固い表情や強めの言い方で、私は伝えます。楽しい活動をしていれば、一旦それも中断します。もちろんそれ以外の場面で、適切な行動を何十倍も褒めることが前提として必要です。コミュニケーションが難しい人に対して、手足を縛るとか、殴るとかは、もちろん人権上あってはならないだけでなく「人とコミュニケーションを取ろう」という動機を余計に下げてしまいます。今回の事件は、問題行動があったから手足を縛ったのかも不明なので、一体どのような経緯でそんなことになったのやら。  本来ABAを使う場合、問題行動がある場合、どうしてそのような行動をするのか?行動の起こる理由を分析して、その理由に対応した策を考えます。(行動の起こる理由の分析を機能分析と言います。)例えば欲しいものが手に入らないなら、要求する方法を教えます。活動をやりたくないのであれば、活動自体の選択肢を増やしたり、簡単にしたり、工夫を考えます。問題行動が起こる理由そのものをなくしていく方向性が最

公認心理師試験とユニバーサルデザイン

  先日公認心理師の試験を受けに行ってきました。名古屋駅から近い「ささしまライブ」というちょっとオシャレな感じのところにある、愛知大学が試験会場でした。新幹線から愛知大学の看板は見たことがある方もいるはず。受験票に昼食持参の指示があったので、おにぎりでも買おうと思っていたのですがコンビニが何故か見つからず、ちょっと遠回りしてまで行ってみたコンビニでは偶然おにぎりがほぼ売り切れで、朝からスムーズに事が運ばない。到着すると、愛知大学の前は長蛇の列が遠くまで見える。へえ、こんなに公認心理師になりたい人いるんだ、と自分も受けておきながら思ってしまいました。何だか嫌な予感。  列の後尾に並んでそのまま移動すると、隣のビルまで行って、また戻ってきて、9時前に到着していたのが、最終入室時刻の9時20分を過ぎてもまだ建物内に入れず、9時40分くらいにやっと入室できました。さて、トイレにでも行って、受験票を用意して。受験票をよく見て見ると、鉛筆は自分で用意・・・。しまった!私の筆箱を開けてみると、いつものペンとマーカーとハンコ。シャープペンや鉛筆って、教室で仕事するときに以外では使わないんですよ。ああ、試験はマークシートだったんですね…久しぶりに昭和な感じ。私の最後に受けた資格試験最終はもう20年も前のアメリカでのBCBA(認定行動分析士)の試験。コンピューターで試験を受けるんですよ。試験場でそれぞれのコンピューターに向かって、クリックする。日本はまだ何十年も前から試験のスタイルが変わっていないんですね、って受験票ぐらい読んでおけよ!読まないんですよね、私。馬鹿だなあと自分で自分に突っ込みながら、今更ながら受験票を読むと「貸し出しは一切致しません」と書いてある。あーあ。しかもスマホは使用禁止なので、腕時計も必要と。普段スマホしか使わないから、腕時計なんて皆持ってないでしょ?部屋には時計がない。愛知大学さん、時計入れようよ。がっかりしながら試験官に「あの〜。貸出しないとは書いてあるんですが、鉛筆がなくて・・・」というと、鉛筆一本と消しゴムを貸してくれました。ありがとう(涙)って、鉛筆一本かい?途中で折れたらどうするんだろう?・・・まあ忘れた私が悪いんだから仕方がないのですが。とほほ。時計がないから時間も分からないし。最初から波乱の幕開け。  試験の説明が始まると、問題が配られてもまだ開

学校教育と自殺、多様性の教育へ

  今週私の担当する大学の授業は、自殺問題でした。教育大学での授業ですから、将来学校の先生になられる生徒さんも多いです。まず新聞記事を読んで、学校の担任の先生の注意叱責がきっかけとなり生徒が突発的に自殺したと言うケースから授業を始めると、生徒さんも真剣に話を聞いていました。学校の先生になるって何て大変なことでしょう?先生の「良かれ」と思ってした指導がきっかけとなり、多感な時期の生徒を自殺に追い込んでしまうこともあるのです。それぐらい責任の重い仕事です。みんな良い先生に育って欲しいと切に願う。ちなみに日本の子供の自殺率、先進国中一番高く、病気よりも多く一番の死亡理由が自殺だってご存知でした?自殺率の圧倒的に高い日本、どんな教育制度なんでしょうね。  気になるのは、世の中の変化に学校がついていっていないと感じることが多いこと。うちの教室のハーフの生徒さん、お父さんはオランダ人なので「世界一」と言われる教育を受けて育っています。自身の子供の参加する日本の軍隊式の運動会を見て、「日本はすごいね」と皮肉っぽく笑われてしまったようです。みんなが右向けば右を向く、軍隊のように行進し、参加しない時間も「応援しなさい」と叱られる。多様性が叫ばれる現代にあって、そんな昭和な運動会がまだ存在して良いのでしょうか?無理に競争させられて、みんな一様に行動することを強制させられて、これでは多様な社会を生き抜く人材を育てることができないと思います。  引きこもりや不登校も、こういった「みんな一緒でなければいけない」無言の圧力が大きな理由になっているのではないでしょうか?特に私の教室に来られるような発達障害のある生徒たちは、皆と同じようには行動できないことが圧倒的に多い。「一緒の行動をする」と言う意味では圧倒的に外れてしまうわけです。私もアメリカに行ってるぐらいだから、かなり日本の標準行動からは外れているタイプ。幼稚園に土足で入って「土足で入る先生」と噂されていたことも。でも活躍できるところもあるんです。人と違うと言うことは、悪いことではない。要は、そう言う人であっても、活躍できる社会が必要なんです。ちょっと他の人と違うからと言って問題児扱いされる環境自体が問題だと思います。  多様性のある学校では統率がつかない?そんなことはないのです。私はよく「みんな頑張る」と言う目標を使います。みんな「それぞ

七夕と「おこだでませんように」:褒める力

  今週は七夕でしたね。年々夏が早くなり、今年の教室は七夕をすっ飛ばして7月からお祭りをテーマに活動を進めてますが、七夕の日にはやはり「おこだでませんように」の絵本は読みました。いい話ですよね。いつも先生からもお母さんからも叱られてばかりいる子どもの話で、情緒の問題で教室に来ている生徒には、だいたい毎年読んでいます。子どもの方も、特に叱られているシーンとか悪いことをしているシーンは、じーっと見てます。自分を重ね合わせたりしてるんでしょうか?何か感じるところがあるのでしょうか?そこまでは詳しくわかりません。  ネタバラシになってはいけないですが、主人公の叱られる子供が「僕も本当はええ子って褒められたいんや」と言っているシーンがあります。私たちの教える発達障害の生徒は、素直な気持ちをそんな風に言ってくれる子は1人として見たことはありませんが、ほぼ全員の子供がそう感じてはいるなとは思います。すごく子どもの気持ちを捉えて代弁してくれている本だなと思います。なぜ褒められたいとこちらが推測するかというと、理由はやはり、褒められ続けてくるとできることが増えて、全然行動が変わってきたり、表情が変わってきたり、素直に嬉しそうな顔をしなくてもニヤリと笑うようになってきたり。褒めることの力によって、こんなに変わってきたかと、本当によく思からです。そうだよね。みんな褒められたいよね。  自閉スペクトラム傾向のあるお子さんの行動特徴的は、犬よりも猫ですね。褒められて素直にぴょんぴょん喜んだり「もっと褒めて」と来るよりも、ちょっとニヤッとするだけだったりします。大好きなお母さんが来ても、ニコッとせずにしれっとしています。ママのことあんなに大好きなのに、素直になれよ。逆にこちらが注意を逸らして他ごとをすると寄ってきたりしますが、こういうの「ツンデレ」って言うんですかね。だから、「本当は褒められたい」と言う気持ちをわかってもらえないことが多いんです。一般の先生からすると、この子は本当に悪いことばかりして、なんで良いことして褒められたくないんだろう?と思ってしまうのも、分からなくはないです。  でも療育の仕事をしていると、段々とそう言う特徴がわかってきます。素直になれないその感じ、ツンデレがたまらなく好きになってきます。どうやったらこの子を笑顔にできるか?どうやって褒めるところを見つけて、どうやって

ABAセラピストの教育:BCBAとRBT

  今職員が入れ替わりの時期にあります。名古屋の教室から東京の療育センターに転勤になった職員、出産のため産休をとった職員、結婚退職した職員、次の人生計画に進んだ職員、あれよあれよと小さな教室からバタバタと人がいなくなり、そして誰も・・・ではないですが、びっくりするぐらい同じタイミングで人が去っていき、本当に寂しい限りです。しかし人生いろいろですね。教室から巣立って他の場所で活躍されるのは素晴らしいことですし、喜んで見送ってあげようじゃないですか。そして今日、教室に新しい職員がやってきました。嬉しいですね。捨てる神あれば拾う神あり。なんだかポジティブな気分。さらに嬉しいのは、新しい職員と言っても、同じ会社(エルチェ)の神奈川の事業所から転勤してきてもらった職員なので、既に5年の経験もあり、頼りになります。若くて頼りになりる人がこのタイミングで転勤してくれるなんて、なんてラッキーなんでしょう。今日は教室のみんなも、いつもよりも前向きな感じで…って、いつも後ろ向きじゃないってば。  さて、ABAのセラピストってどんな人でしょう?日本では「ABAセラピスト」ってざっくりすぎて、どんな訓練をされるのかイメージがわかないと思いますが、アメリカでは大きく分けて2種類います。BCBAのレベルとRBTのレベル。BCBA(行動分析士)のレベルは、大学院まで出た専門家。ABAのプログラムを監督(スーパーバイズ)し、現場で生徒を教えるセラピスト(RBT)を訓練し、その質を保つための専門家。RBTのレベルは、40時間以上の訓練を受けた人になりますが、それだけの訓練では自身で判断し分析することは難しいです。BCBAレベルの人が常にスーパーバイズを行い、そのセラピーの質を担保することが必要になります。今私の教室でも、実際に海外の大学院を卒業して、私の元で実地訓練を受けてBCBAに育てたセラピストが1人卒業して、今まさに私の元を巣立っていきます。BCBAですから、自身で考えて分析し、人を監督するレベルです。巣立った後、ある意味守られた私の教室以外の場所で、今後もしっかりと活躍して欲しいです。  日本では実際に海外の大学院を出てBCBAを取るのは難しいですよね。日本でも日本の大学や大学院で ABAを学んで、その後私の教室のような場所で実地訓練を受けて、BCBAに準じるレベルに成長される方もおられます