アスペルガー、高機能自閉症と鬱病

 自動二輪の免許を取るために自動車学校で検定を受けたのですが、今日二回目の検定に失敗しました。2回目失敗ですよ。他の人を見てても、大抵一回で成功してますよね。それも1回目はいつもしないようなところでエンスト、2回目は転倒してるんです。転倒って、これまででの練習を見ても、ありえないです。検定中めっちゃ緊張してて震えてるんです。本番弱すぎっていうか、ちょっと「面白すぎ」でしょ。どちらかと言えば無難にこなすタイプで(と思いたいだけかも)、「面白い」タイプではなかったんだけれどなあとか、もう恥ずかしいから教習所に行きたくないとか、このまま癖になって全然何度も受からないかもとか、色々真剣に考えてしまいます。教習所の先生も本当に良い方でばかりで、慰めてくれるんですけど、逆にそれも心痛いですよね。免許の場合、特に自動二輪は生活に大きく影響しないものなんで、言っちゃえばまあ取れなければ取れないで別に人生に支障はないんですが、こんなところでこんなにがっくりするもんなんですね。心が折れるっていうんですかね。
 よく考えると、高機能の自閉症の方や、アスペルガーの方って失敗経験の繰り返しだと思うんです。障害があることで、会話や人間関係で色んな失敗を起こすんです。例えば他の人が「ええ?それ失礼でしょ?」「そんなこと言ったら(やったら)叱られるでしょ」というような事を言ったり、してしまうんです。しかも本人は相手からの表情から微妙な感情を読み取る事が苦手なので、相手がずいぶん怒りを溜め込んで爆発するまでやり続けたり言い続けちゃったりするんです。自覚がないんです。ですから本人からすれば「どうして人にこんなに怒られるだろうか?」分からないんです。いつ会話の相手からそういった感情の爆発が来るのか分からないということは、私の「検定に通らない」なんて物とは比較にならないぐらい怖いことなんです。いわば人の感情爆発の「地雷」地帯をこわごわ歩いているようなものです。そういう人って普通の人でもいるでしょ?地雷を踏みまくって失礼な事や人を驚かす事ばっかり言ってるような人って。そうなると、逆に人と話すこと自体が怖くなってしまうんです。人からは「お前全然人の事気にしてないなあ」なんて言われるんですけれど、本人からすればすごく気にしているんです。ただ、その気にしている焦点がずれてしまっているだけなんです。
 こういった人間関係の失敗をあまり続けると、「私って・俺って、やっぱりダメなやつなんだ」と思ってしまうでしょ?実はアスペルガーや高機能の自閉症の人は鬱病が併発することが多いんです。叱られ続けて、怒られ続けて成長することが多いですから。「障害をそのまま受け入れる」って聞きますが、周りからの理解が本当に大切だと思います。あくまで私の意見ですが、「可哀想だ 」という慰めとか、見下した見方ではなくて、「お前おもろいなあ」って、笑ってやって欲しいんです。私だって検定2回落ちたくらいで落ち込んで、慰められても心痛いぐらいですから、少なくとも笑ってくれなければやってられませんよ。そしたら、少なくとも他の人を幸せにさせたじゃないですか。意義ありだと思いませんか?人って障害あるないに関わらず、他の人に貢献出来ることがしたいと思います。障害を隠してしまう両親もいるでしょう。でもそれって、逆に他の人からの理解が得られずに、人間関係で難しいことがあった時に本人が苦労すると思います。「こんな失礼な事言ってしまう人なんです。本人気づいてないんです。面白いでしょ?悪気ないんです。すみません。」って本人の弱点を見せる事で他の人を安心させて、「ああ、そういう人なんだ」って分かってもらって、「それはそれでありかも」と思われるような人間関係が築ければ、私は良いような気がします。

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