視線合わせ:共同注視と動機について

  今日、うちのひまわり教室の2歳の生徒が「あ」と言って教室のカレンダーを指差し、私の方を見ました。指差したカレンダーを見ると、「はらぺこあおむし」のちょうちょが描かれていました。「お、あおむしのちょうちょ見つけた?」と言うと、保護者の方から説明がありました。教室で「はらぺこあおむし」の絵本を読むようになって好きになり、最近は自分で絵本のページをめくって読むようになり、最後のちょうちょになるシーンで、「あ」って言うようになったとのこと。納得。確かにそのページは「あ、ちょうちょ あおむしがきれいな ちょうちょになりました」でしたね。まだ言葉が数語出てきている状態なので、「ちょうちょ」と言える時もあるけれど、「あ」は「ちょうちょ」と比較して、簡単に安定して言える音だったんですね。

 実はこれ、発達に障害がある子どもにとっては、すごく大切な「共同注視」というスキルで、他の人が指差したものを見ることと、子ども自身から指差して相手に見てもらうこと、その両方を含みます。人とのコミュニケーションを取るには、同じものを見ていると言うことは不可欠なスキルなのですが、発達に遅れ、特に自閉傾向がある生徒にとっては非常に難しいスキルになります。人が指差したものを見ることも、自分から「見て見て」と何かを指差すことも、非常に稀なことなんです。指差しは発達の指標の一つにも入っています。特にトリッキーなのは、自分から指差しする方です。元々「見て欲しい」と言う要求がない場合、指差しして「見て見て」という行動だけを教えても、自分からはやるようにはならない。当たり前ですよね。行動のその背後の動機の両方が大切なのです。これを教えるには、指差しをして人から注目してもらい「ああ、人から見てもらえて嬉しい」と体験させることが非常に大切で、これを通して「もっと見てもらいたい」と動機が高まり、自発で行動するようになるのです。

 また、指さし(共同注視)だけでなく、「あ」と自発で音声を発することも、声を絞り出させてあげられるわけではないので、お手伝いができない。その行動を引き起こせなければ、強化して増やすこともできない。ですから、自分から言いたい(自分の言った音が聞きたい、もしくは音を言って他の人に聞いてもらいたい)動機が高まらなければ、偶然音が出た時に強化する以外はないのです。

 この子どもがちょうちょの絵を見て「あ」の音を言うようになったのは、「ペアリング」と言う手続きによって習得されたとABA的には分析されます。「ペアリング」とは、好きなものと中性と言うか普通なもの(それほど好きではないもの)が一緒に組み合わさることにより、普通なものも好きになること。この場合「はらぺこあおむし」が好きなもの、「あ」と言う音が普通なものになります。繰り返し絵本を読みながら「あ、ちょうちょ」と絵本のちょうちょと「あ」の音が一緒に提示(ペアリング)されることにより、「あ」の音が好きなものに変わったので、その音を聞きたくなった(動機が高まった)と考えるのです。

 実は教えることは、行動自身を教えるだけでなく、その動機の部分を分析することが非常に大切で、特に自発の行動は、大人が指示した時にではなく、子どもが好きな時に自分でする行動なので、動機の分析が不可欠になるのです。「あ」と言えれば良いのではなく、それを適切な場面で自分から(自発で)言って、初めて子どもにとって本当に意味のあるスキルとなることって、実は多くあるのです。

 ただし、多くの場合教育者は(そして保護者も)「あ」と言わせることに満足してしまうのです。こちらが「あ」と言った時に「あ」と真似すること。これは、ちょうちょを見て「あ」と言うことと専門的には全く違うスキルなのですが、親からすれば早く話せるようになって欲しい焦りから、「あ」が言えたら「い」と次から次へと言える音だけを増やしたい気持ちが高まってしまうことが多いのです。教育者も、その親の言うことを聞いて、次々と音だけを増やそうとすることに時間を費やしてしまい、実は本当に大切なコミュニケーションは何も伸びていないと言うことは、よく見られることなのです。急がば回れと言いますが、本当に使えるスキルをしっかりと伸ばすことに力を入れましょう。ABAに関わらず、本当の教育者は、しっかりとこの辺を見ています。親は、単純に行動だけを増やそうとするタイプの教育者に騙されない目が必要になります。

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