関係反応:言葉のつながり

  うちの子どもが私に聞きました。「パパは大きくなったら、何になるの?」私は答えます。「そうだねえ。パパは何になろうかな?じゃあパパは、アイドル。歌って踊れるアイドルになりたい。(父踊る)」子「ええ?アイドル?女の子がなるんじゃないの?(笑)」父「女の子?男の子もなれるよ。」子「でもパパって、何で大人なのに何にもならないの?」父の内心(私って、何にもならなかったのか・・・?)父「じゃあ、パパはいつも何してると思うの?」子「パパは、お仕事行って、働いてる・・・(笑)あ、そうか。」

 子どもの理解ってどんな感じなんでしょうね。確かにお仕事と言えば、消防士とか、お医者さんとか、電車の運転士とか、普段から子どもにとって身近な職業を思い浮かべるかもしれない。ちなみに、この「パパは大きくなったら何になる?」の質問は、結構何度も聞かれています。その度にアイドルとか適当な返答はしています。そう言えば、それよりちょっと前は、「パパ今日お仕事で何するの?」の質問をよくしてきていた時期もあり、「今日は教室で、工作でちょうちょ作ったよ」とか、「これは教室で歌っている歌だよ」とか、そう言う情報も与えていたかもしれない。教室で工作を作ったり歌ったりして遊んでいると思ったかもしれない。そう言われれば真実からそう外れてもいない。でも、「パパのお仕事は子どもに教える仕事だからね」とも伝えているとは思うのだけれど・・・。

 言葉のつながりは難しいです。新しいことを教えるというのは、新しく教えた言葉と過去に教えた言葉とがつながって、理解のネットワークを作ること。例えば、「りんご」と言う物と言葉をすでに知っている子どもに、学校で「りんご」と言う平仮名を教えるとします。この場合、「りんご」と先生が口で言いながら、それをひらがなで書けるように練習し、言葉の「りんご」と平仮名の「りんご」と言う、一つの繋がりを作ったわけです。しかしこの教育の結果として実際に期待されるのは、「りんごパン」と書かれた字を見てパンの中に何が入っているか分かったり、プリントにあるりんごの絵を見て(言葉を聞かなくても)そこに平仮名で「りんご」と書けるようになったり、言葉と平仮名以外の繋がりのネットワークが(勝手に)生まれることなのです。「勝手に生まれる」「期待される」と言いましたが、ネットワークを作る部分は、実際には通常教育では教えられないことが多く、勝手に現れて当然のように扱われることが多いのです。

 しかし発達に障がいがあると、りんごと言う言葉を聞いたら「りんご」と書けるけれど、「りんごパン」の字を見ても何が入っているか分からないことが頻繁に出てくるのです。「ああ、スーパーで見て役に立つから、平仮名を学んだのか!」と現実場面で気づく、本当の学びの瞬間が必要なのです。しかし、「一つ教えて100を学ぶ」ことを当然のように学習者に求めてしまうのは、定型発達とか発達障害とかそういう枠組みを超えて、学習者にとって全く理不尽なことだと思います。通常教育でも、やはり全てのネットワークは勝手に現れないのです。「教えたからわかるでしょ?」は先生の都合から来る言葉なのです。

 学校では教えてくれないネットワークの部分を補ってくれるのが、予備校の有名な先生だったりします。例えば歴史の授業なら、世界史の年表を見て1800年に何が起こったかだけ学んでも、この情報が頭の中で勝手に繋がってネットワークを作っていくわけがない。同じ時期に日本で何が起こっていたのか、それが現代の生活にはどう影響するのか、史実を様々な角度から生徒の興味や身近な出来事や、興味のあることにネットワーク化させて学習を手助けすることが大切なのです。というか、それが教育の本当のところで、本当に良い先生は学校でも塾でも常に行っている部分なのです。

 言葉の遅れのある生徒を教える際にも同じことが言えて、単語の意味をいくら教えて行っても、それだけでは話せるようにはならない。それを生活場面(子どもの場合、その大部分が遊び場面)で使って、言葉を話したから自分でも遊びが楽しくなった、他の人に伝わって遊びが楽しくなった、こう言う体験をすることで、徐々に言葉と、遊びの体験と、様々なネットワークに発展していくのです。これが、ABAで言うとナチュラルなタイプの教育(NET: Natural Environmental Trainingなど)と言われるものです。ただし、実際にはこの大切さについて、本当に理解してもらえないことがあります。学校でもそうですよね、単元だけを教えていって「こんなに進んだ」と言いたい。その方が何となく早く教育を成し遂げた気持ちになる。しかし、本当の意味でのネットワーク作りがないのであれば、それは結局やっていないことと同じ。焦らずに、地道に遊びを続け、その中で本当に使えるスキルを獲得していくことは、何となく「先に進めている」感というか、「できた」感と言うか、達成感が得られにくい。早くチェックマークをつけて、「これもやって、あれも教えて・・・」と先に進みたい気持ちを抑えて、教えたことを楽しく使いこなせて、しっかりネットワークが出来上がるところまで持っていくこと、これが大切になります。

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