集団ではなく個々のニーズを尊重する教育

 愛知教育大学の4年生向けの授業「教育相談の理論と実践」を担当することになりました。「愛知教育大学卒業」と言えば、名古屋・愛知県の教員では、出世頭ですよね。早く言えば、将来の校長先生や教頭先生を育てる大学です。そんなところで、私のようなABAという偏った考え方を持った専門家を、よく非常勤講師として採用してくれたと思います。繋いでくださったディスレクシアの会の吉田さんや黒川先生に、感謝してます。私の授業はもちろん一般的な教育相談の紹介もしますが、ABAもガツガツ取り入れて進めたいと思ってます。ABAも含めた幅広い教育の観点から様々な知識を学び、是非とも将来立派な校長先生や教頭先生になられて欲しい。

 従来型の日本の学校教育はどうしても「出る杭は打たれる」というか、軍隊型というか、それぞれの個人のニーズよりも全体のニーズを優先させる雰囲気がありました。「皆んな一緒のことをすることが良い」と。しかし、歴史の授業でも「大河ドラマ見た?」と聞いても、ほとんど生徒が見ていないらしいです。もうクラス全員がテレビを見ていた時代ではありません。それぞれがYouTubeで好きな人のチャンネルを見て、歴史でも知らない子は何も知らないし、逆に特別な知識をたくさん持った子どもも育ってくる時代です。自閉とか発達障がいのような「癖の強い」生徒でなかったとしても、それぞれの興味や背景にも大きな違いが生まれていますから、それぞれの個性を無視した教育は成り立たない。個々のニーズを大切にするために、全体としてどのようにすれば皆んなが幸せに暮らせるのかを考える。まさにABAの「個々の行動の分析」が、教育現場でもやっと使ってもらえる時代になる・・・?それは何十年か後の話かもしれませんね。

 ちなみに、非常勤講師として最初から「やらかして」しまいました。大学から授業料の振り込み先の指定をする際に、個人としての契約ではなく、会社との契約にして会社に振り込んで欲しいというお願いを人事課にしました。理由は、私は子どももまだ小さいですし、お金よりも子供との時間を優先したいから、できれば会社の時間内で働いて、会社にお金が行くようにして欲しかったからです。ですが、人事課からは「ダメです」と即答が返ってきました。どうしてですか?と質問すると「法律違反だから」との返答でした。いやいや、何をおっしゃる。前の大学でもやっていたし、大丈夫なはずですと言うと、次の担当に代わりました。次の担当も「できません」との結論から始まり、理由は「労働基準法に基づいた個人との契約しかしない」とのこと。労働基準法?それなら労働者のためになるはずでは??と言うか、結局三人の担当と話しましたが、労働者側の理由すら一切聞いてくれていない。「それで良いですか?」と言うので「よくありませんが、大学の意見は聞きました」と嫌な感じで電話を切りました。なぜ個人のニーズを聞いてくれない?

 どうしても納得できず、人事課に手紙を書きました。労働者に丁寧な説明もないのでは契約はできないと。結局紹介していただいた黒川先生に話が行き、人事課とは関係のない黒川先生が丁寧な理由の説明をしてくれました。実は今大学と非常勤講師との契約が社会問題になっているらしく、業務委託という形で個人で契約をしないことで、大学側が不当に非常勤講師の権利を虐げているとのことで、文科省などから非常勤講師の権利保護のための個人契約を徹底させたいらしいのです。そういうことか。でも、それならそう説明すれば良い。私の場合、その「権利保護」によって、私のニーズは無視される。是非とも個人のニーズを聞いて欲しい。しばらくして担当から電話が入り、「事情のわかる人からの説明がしたいからミーティングしたい」とのことでした(黒川先生から既に事情は説明されていましたが)。電話での担当の声は明らかに「怖い人」を扱うような感じでした。あーあ、授業を始める前から「問題児扱い」ですよね。ハッキリもの言う講師の何が悪い?

 個人のニーズを言って嫌な顔をされない時代に教育界もなって欲しい。特に発達に障がいがあると、全体には簡単に合わせられない。それでも学校に行く権利はある、学ぶ権利はあるのです。問題児扱いをしないで欲しい。それでも「学校に来ていいよ」と言う真摯な姿勢、メッセージが学校から欲しい。それって、望みすぎですか?

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