ソーシャル・スキル・トレーニング

 6月19日(日曜日)に東京の中目黒で、第4回講演会を「ソーシャル・スキル・トレーニング」題材に行います。興味のある方はぜひご参加ください。(詳しくはwww.kojitakeshima.comまで。)
 ソーシャル・スキル・トレーニングは、本当に難しい題材の一つです。私もソーシャルスキルに関する本や研究はたくさん読みましたが、「この教科書を読めば、ソーシャルスキルがわかる」「段階別に分類されて、非常にわかりやすい」というような代表作的な本が私も見つけられないからです。私も実際に療育を行う際は、いろんな本や研究のいろんな部分をつなぎ合わせて行っている次第で、私自身の臨床経験に頼る部分も大きいのです。今回講演会に題材として取り上げることで、「ソーシャル・スキル・トレーニングを、私ならこう分析して、こうやって行うという」という実際のところを共有し、実際にお子様を療育をされている皆様に、ヒント・手助けになることを伝えられれば良いと考えています。
 私の一番のテーマは、「実際に使えるレベルにまでスキルを持っていけるか?」ということです。というのも、いろんな子がスキルが使えるのだけれど使わない(can't do ではなくwon't do)というか、「やれるけど、やらない」という場合が多いのです。例えば視線合わせのスキルをとっても、自分が視線を合わせたいときはがっつり見られるのに、大人が話しかけるときは目をそらせるとか、よくありますよね。視線が合わせられないのではなく、視線を合わせる動機や、視線を合わせを強化する好子・強化子が自然の生活の中にないのです。視線合わせという行動だけを見るのではなく、その機能というか「どうやったら、人と視線を合わせたくなるのか?」への分析が大切になるのです。
 スキルに対する動機の部分の分析は、よく見られるソーシャル・スキル・トレーニングでも弱い場合が多いです。例えば、ゲームに負けて泣き叫ぶ子どもに、「負けても泣き叫んで癇癪を起こさない(泣かずにゲームを遂行する)こと」を教える場合があるのですが、まず第一に、負けたぐらいでどうしてそこまで泣き叫ばなければいけないのでしょう?と私は考えます。ソーシャル・トレーニングの結果、その子どもの様子を見たときに、「泣かずにゲームを遂行する」という同じ行動をしていたとしても、「泣き叫びたいほど悔しいけれど、我慢して癇癪を抑えている状態」と「負けたら悔しいけれど、まあ別にそれ程泣かなくても良い状態」があるとすれば、絶対に後の方が良いのです。我慢している子どもは、後で歪みがきます。負けることも含めて、楽しくゲームができる状態が目標であって、我慢させることが目標ではないはずです。行動だけ見ていると、その背景の動機の部分というか、機能の分析が無視されてしまっている場合が多いのです。
 機能・動機に焦点をおくことで、なるべく学ぶ本人にとって、それを学ぶことで我慢が増えるのではなく、逆に楽になるようなソーシャル・トレーニングを一緒に考えられたら、嬉しいです。

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