2014年1月11日土曜日

言語の発達

 コーヒー屋さんにいると、隣に外国人が座りました。しばらくすると待ち合わせをしていたようで、 日本人の女性が向かいに座りました。友達かなあと思っていると、外国人男性はどうも他人行儀な質問ばかり投げかけています。お気づきかもしれませんが、盗み聞き、ちょっとだけ好きです(内緒です)。「Do you get along with your family?」と質問されて日本人女性は困惑していました。「家族と仲良くやってる?」っぽい意味なのですが、男性の方も「Good relationship」と始めは言い換えたり説明しようとしていましたが、結局「忘れた?」なんて日本語で言ってノートを確認させ始めました。ああ、英語の先生だから質問ばかりしているんですね。最近は英会話のレッスンもコーヒー屋さんで行う時代ですか。しかし英語を学ぶって本当に大変ですよね。私もアメリカ留学前は、英会話の先生から色々質問されて、さっぱりでした。「全然聞き取れない」「単語が聞こえても知らない」「そのイディオム、聞いたけど忘れた」という連続ですよね。なんか悔しいですよね。ポジティブに頑張って学んでいるのにも関わらず、この「負けた」感というか、「できない」感というか。何となく昔感じた気持ちがよみがえって、生徒さんの手助けをしたくなってきました。でも、こういう感情を持つから、英会話やって挫折するんでしょうね。その言語で育てば誰でも喋れるはずなのに、育ってから学ぼうとするとその労力は半端じゃないですよ。
 言語って、一体何なんでしょう?考えたことありますか?ABAでは、必ず機能(なぜ起こるのか)に焦点を置いて考えます。人が行動する理由は、人にとって得になるからだということです。食べれば栄養が得られるので、人は食べます。動くものをよけなければぶつかってしまうので、人はよけます。歩けば自分の好きな物や活動に近づくことができるので、人は歩きます。こうやってそれぞれの個人の得になる行動を人は徐々に覚えていきます。言語はこういった観点からすれば何か他の行動と違うのでしょうか?ABAの創始者と言われるスキナーは行動を考える際、(簡易バージョンですが)「人を媒介にして好子・強化子を得る行動(人を使って得をする行動)」と定義しました。行動自体が個人の得になる行動と違って、言語は他の人を使って好きな物を運んで来る、もしくは他の人の笑顔や承認自体が人にとって望ましく、得になるということです。例えば、人に食べ物を頼むと自分が歩いて行かなくても食べ物が近づいて来る訳です。「危ない!」と言って他の危うく交通事故に遭うのを防ぐことも、助かった相手の笑顔が「危ない」と言った人にとって嬉しいことですから、言語行動ということになります。
 スキナーの言語行動の分析を取り入れたのがVB(Verbal Behavior)と言われて、自閉症の療育でも使われています。私もVBの理論を取り入れて療育をしています。これまでの療育との一番の違いは、言葉を「意味」で分類せず、機能で分類する点です。リンゴという言葉を例にとると、リンゴと言う赤い果物の意味を考えるのではなく、リンゴと言う言葉を使うとどうやって話す人にとって得になるのか(機能)に目を向けます。リンゴが欲しくてリンゴと言ったのか(マンド)、ただ目の前に突然現れたから他の人の承認を得たくて言ったのか(タクト)、「赤い果物は?」と聞かれて答えるために言ったのか(イントラバーバル)、「リンゴ」と言われて「リンゴ」と言い返したのか(エコーイック)、それぞれ違った機能となり、違う分類に属することになります。どうしてこんな分かりづらい分類が重要かというと、言葉の遅れのある子どもなどでは、リンゴを見てリンゴと言えるようになったとしても、リンゴが欲しい時にはただ泣いてしまったり、「赤い果物は?」と言われても「リンゴ」と答えられないことが多いのです。それぞれ違う種類に属する言葉と考えれば、それぞれ違うように教えなければいけないというのも理解出来ます。こうすることで、リンゴの意味を教えて「リンゴ」という言葉の色々な使い方を勝手に学んでくれることを待っているのではなく、より積極的に「リンゴ」という言葉の使い方を教えられます。ちょっと違った新しい発想です。確かに私も英語を勉強した時には、「うまく気持ちを伝えて相手を動かしたい」という気持ちで話した時に(マンドとしてを使った時、要求として使った時)に英語が上達したように思えます。同じ内容を話したとしても、要求した時と英会話の先生に聞かれて仕方なく答えた時(イントラバーバルとして使った時、質問に答える時)と、全然違う種類の言語を使っていたからだと考えられます。
 さらに分析を加えれば、言語理解をもう少し深めることができると思っています。私は言語習得には頭の中で「考える」という内的な行動が非常に重要だと考えています。実はスキナーも著書の中で、考えるということは考える本人が話し手でありかつ聞き手であり、話し手本人が直接得になることであり、言語行動とはもしかして違うのかも、と問いかけています。外国語の例で言うと、リンゴを見て、アップルということが言えたとします(タクト)。リンゴが欲しい時に、果物屋さんでアップルと言えるでしょうか(マンド)?これぐらいはまあ大丈夫でしょうね。通常の大人は(発達障害の子どもと比べて)、見て物の名前を言うことができれば、それを要求することも、比較的簡単にできると思われます。しかし「Tell me a red fruit.(赤い果物を言ってみて)」と言われてアップルと言えるでしょうか(イントラバーバル)?こんな質問英語でされたことないから、無理かもしれませんね。「赤い果物は何?」と質問された時に、これに答えるにはまず果物をいくつか思い浮かべる必要があるのではないでしょうか?その中で赤い物をみつけることで、リンゴやらサクランボやらの答えが導きだせます。質問に答える時には、質問を単に暗記しているだけでは追いつけない様々な質問があるのです。例えば「いくつになったの(何歳)?」という質問の答えは毎年変ります。年を取って来ると、「あれ?いくつだったっけ?今年が2014年だから・・・」と他の言葉を「考えて」初めて答えられるようになることもあるでしょう。「さっき言ったコンビニに、おでん売ってた?」という質問も、思い浮かべなければ答えられないし、暗記して覚えることではないでしょう。ちなみに英語で「Tell me a red fruit.(赤い果物を言ってみて)」に答えるには、筆記試験なら時間をかけて翻訳しながら答えることも可能かもしれませんが、リアルタイムの会話のスピードで反応するには、「Tell me a red fruit.」と言われてすぐに果物をいくつか思い浮かべられる必要があるでしょう。
 私の英語習得の経験からすると、独り言を英語でするようになって、言い換えれば英語で考えるようになって、英語で質問に答えたり言いたいことを言えたりする確率が上がりました(上達しました)。例えば何か楽しい経験をした時に、その経験に対して英語が直接結びついて、自然に状況を思い浮かべながら英語でそれを独り言として語っているようになると、今日は何したの?と聞かれた時に突然聞かれても、答えがもう半分用意されているようなものなのです。何か問題を解決する時にも、日本語で考えるのではなく英語で考えていることで、人に説明しなければいけない時にもできます。日本語で考えてから翻訳しようとすると、時間がかかりすぎてしまい会話にならなくなってくるので、始めから英語で考える必要があるのです。ただし、これをすると思考も英語のレベルと同様に落ちてしまうので、一時的ではありますが大した思考ができずに赤ちゃん帰りしたような気持ちになることも確かです。
 考えることを言語習得に取り入れることは療育でも使えると思います。言葉を教えて行くには、実際に子どもが普段から色んなことを考えて独り言として言っていれば(もちろん小さい頃は声に出して言っていれば)、質問された時にも答え易いのではないでしょうか?例えば、何かを楽しい経験した時には、ビジュアルとして楽しい経験を何度も思い浮かべますよね。それに言葉をつけてやります。遠足で公園に行った。広かった。池でボートに乗った。楽しかった。こういう言葉も一緒に思い出していれば、「今日は何したの?」「何か楽しいことあった?」と聞かれた時にも答えられます。一方で何も言葉にする経験がなかった子どもは、楽しいことをビジュアルで思い浮かべても、言葉にさっとならないかもしれません。自分で遊びをする時に、「ここを動かして、これをここにおいて・・・」と口で言えている子どもは、他の子に同じ遊びをして欲しい時にも、しっかり説明できます。3歳ぐらいの子どもは本当に自分のことを何から何までナレーションしてますよね。「落ちちゃった。」「走ってる。」「赤い車」など(タクト)です。こういった言葉を声に出して、ビジュアルと言葉とをしっかり結びつけていくことが、将来もっと複雑なタイプの質問に答えたり(イントラバーバル)、複雑な要求をしたり(説明して相手をうまく動かす)する準備になっているものと考えられます。

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