2015年4月22日水曜日

良し悪しの判断:ルールの価値

 先日近くの銭湯に行ってきました。たまたま車で通りかかり、こんなところに昭和な感じの銭湯があったんですね。「⚪️⚪️温泉」と名前があり、銭湯ではなくもしかしたら本当の温泉なのかな?というところも温泉ファンの心をくすぐる。行ってみました。すごい人数のお年寄りがいました。洗うところがないくらい。しかもみんな洗い場のシャワーのところを席取りしているのかシャンプーなどを置いていて、空いていても何となくそこを使いづらい。突然来た新参者がちょっと入りづらい雰囲気。名古屋は温泉文化があるんでしょうか?こんなに普通の銭湯が混んでいるなんて。しかも年齢層がすごい。みんな70歳くらいでしょうか?せっかく来たのに、みんなあまりリラックせずに結構早く出て行くところも年寄りらしい。それくらいの人に囲まれると、なんだか自分も若返った気持ちになりますよね。そこにいる50台くらいの人も、だんだん「お兄ちゃん」に見えてきた。その「お兄ちゃん」サウナに入っていたんでしょうね。水風呂に入りました。しばらくすると、バシャーン、バシャーンとすごい音を立てて、水の中で体を移動させ、中の水を波立たせて水をこぼしてしまっています。一体何なんだ?びっくりしていると、いなくなりました。実は水中に頭ごと潜っていて、またザバーっと(アデランスのコマーシャルのように)大胆に水しぶきを上げて水から出てきています。私だって(人が見ている前で、しかもあんなに大胆に)お湯に潜ったりしません。やっぱり大人も異様な行動を取るんですよねえ。結局ただの怪しいオヤジですよねえ。「お兄ちゃんだと思ったのに・・・」。
 こういう仕事をしていると、頻繁にお母さんがたから「物事の良し悪しがわかるようになって欲しいんです」ということを相談されます。子どもによっては、人の給食のご飯を取ってしまったり、人を叩いてしまったり、学校から逃げ出してしまったり、きっかけは色々ですが、大体問題行動から始まります。ただ、これは非常に難しい問題です。というのも、「物事の良し悪し」と簡単に言いますが、良し悪しを判断するという行動が取れるには色々なことができなければ行けないからです。まず第一は、それが理解できるか?ということです。りんごがみかんとは違うように、人の食べている物と、自分の食べているものが違うということがわかるか?それから、人の食べている物を取って(盗んで)はいけないというルールが理解できるか?ということです。その次に、ルールが理解できたら、「それを守りたい」という動機があるかということです。さっきの「お兄ちゃん」じゃないですが、「銭湯では潜ったり、水をひっくり返すように大きく動かない」というルールを知らないというよりは、別に守ろうという動機がないのでしょう。交通ルールもそうですが、赤信号で渡ると(車でスピードを出しすぎると)危険に陥る確率が高いということは理解できても、覆面パトカーがいない場所では、ついついスピードを出したりしてしまいますよね。
 自閉症だったりすると、特に普通の価値観が少しずれている場合があります。例えば「人に話しかけられたら、返事をする」という普通の人なら普通にするルールですが、発達障がいがある子どもの多くは、聞こえていても完全に無視することが多いのです。他の子どもが泣いていても、全然知らん顔していることもありますし、他の人が床に寝ていたら、その上を踏んで通り過ぎる場合もあります。彼らにとっては、「どうして反応しなければいけないの?」という感じなのでしょうか?理由については推測するしかありません。人を叩きながら「叩かない!」といつも叱られるセリフを言う子どももいます。人を叩いたら叱られるということは、わかっているのでしょう。動機の問題なのかもしれません。でも、一々誰かが見ていて、問題行動をしないように見張っていることが難しい場合もあります。価値観自体が変わって、「ルールを守りたい」子どもに育ってくれれば、それが一番良いとは思いますが、そんなに簡単でもありません。
 ルールに関してある程度理解のできる子どもには、ルールを使うこと自体の価値を上げることもできます。実は「ルールを使って人の失敗を指摘すること」を教えると、ルールの価値を変えることができるのです。子どもだって大人だって、いつも人から注意される側では嫌ですよね。人に注意される立場ではなく、人にできる立場になると、人より上に立つことができ、ちょっと嬉しいのです。ルールを知っているだけではなく、さらに人を観察して「あ、あいつルール破った!」と指摘できることで、初めて「上から目線」で人に対処できるんです。変な話ですが、人の悪い点を指摘するのは気分良いですよね。人の悪い行動を指摘できるようになると、ルールの価値、人の行動を観察する価値が非常に高まるのです。逆に言えばそれを経験していないと、叱られるだけで本人にとってそれ程の得がないことになるので、ルールって別に対して興味の湧かないことなんです。人を観察することも、価値が高くならないので、人を見ていないのです。だから余計に社交性の発達も遅れていく。ルールを教えたら、わざとこちらが間違えて見せて、指摘させます。指摘できたら「ゴッメーン。間違えちゃった。」と謝って見せるのです。子どもがニヤリとしてきたら、もうけものです。
 

1 件のコメント:

  1. 先日は、またお会いできてうれしく、感謝しています。
    「良し悪しの判断」と「それを守りたい理由」・・・!!
    なるほど、「ヒト」の心理と行動との関係に、はっとさせられました。

    何かを伝えるために、相手への理解がどんなに大切で必要なことか、改めて考えました。

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