行動範囲を広げる

 おじいちゃんの言い出しで、おじいちゃんの車を私の名義に変えました。米寿を昨年迎えたおじいちゃん、まあ年齢からすれば車を諦めても良いお年頃。ただしこれまで私のブログを色々読んで頂いた方はご存知の通り、まだまだゲンキです。まあ、あと2年くらいは車乗るんだろうなあと思っていところ、電話がありました。祖父「2月に車検もあるし、どうしようか考えとったんじゃ。お前にやる。」私「ええ?そうなの?」祖父「もうそんなに乗っ取ってもあかんからのう。やる。」私「ありがとう。」祖父「ほいでな。車検取ってからやるから。」私「はあ?何で自分で乗らんのに車検取るの?それぐらいやるよ。」祖父「そんな高い車でもないのに車検代まで出し取ったら、仕方ないやろ。」私「そんな事ないよ。車検くらいは、、、」祖父「(私の言葉を遮って)もう決めたの。じいちゃんは車検をやってからこうじに車をやる。」私「ありがとう。(おじいちゃんを知っている人なら、一度決めたら、もう何を言っても仕方ないね。)」こんな感じで決まりました。
 実は私、日本に帰ってきてすぐにバイクの免許も取って、バイクを買って乗り回す予定だったのです。しかし、バイクじゃ荷物も詰めないし、カリフォルニア帰りで寒さに弱いということもあって(基本的にアメリカ帰りの人は根性無しと思って良い)、「やっぱり小回りの効く軽自動車かなあ(アメリカ帰りの人は道路の狭さ、駐車場の狭さにやられる)」と考え直していた所だったので、渡りに船ってやつですか。ただし、オートロック?(鍵を押すとピッって言って鍵が開くやつ)もついてないし、窓も手動(手でぐるぐるするやつ)、ラジオだけついていて(もちろんiPod等はつなげない)、「こんなに何もついてない車が今時あったのか?」という感じですね。しかもおじいちゃん、名義変更直前にちょっと事故って車を傷つけてきました。やっぱ運転は危ないか。「ちょっと苛ついとってのう。」と、恥ずかしそうにしていました。年とってきたら、普通はまごついて事故るよね。苛ついててぶつけるとは、理由が違うね。
 まあ車って足ですよね。歩いて行けない色んな所に連れて行ってくれる。車を諦めることで足がなくなって、残念ながらおじいちゃんの行動範囲が狭まるのです。まあ私のおじいちゃんは近くにいるので色々どこかへ連れて行ってあげるとして、行動範囲の話をします。自閉症・広汎性発達障害があると、なかなか行動範囲が広がらない。というのも、問題行動や、社交性の欠如、意思疎通の力の乏しさ、指示やルールに従えないことで、集団が基本となる公園、プール、スーパー、電車の乗り降り、色んな所に行く事が難しくなります。例えばいつも通りの順序が変わるとパニクったり、突然道路に走り出してしまったり、列に並べなかったり、大人の指示に従えなかったりすると、「親の躾が悪い」なんて非難されたりしてなかなか外に出づらい。逆に言えば、社交性をある程度つけてやって、いつも通りの順序を変えてもパニクらないようになって、意思疎通の力を延ばしてやって、指示やルールに従うことを教えてやれば、それが「足」となって行動範囲を広げてあげることができるのです。
 私が治療教育をする際は、そういった所を目標に入れます。行動範囲が広がるということは、その子の将来の可能性を増やす事になります。特に発達に障がいがあると、色んな事が出来ないという前提に立ってしまう事が多く、親が面倒をみすぎてしまう場合がありますよね。自閉症の子は特に顔が美しい場合が多くて(私の個人的な意見です)、可愛いんです。普通の人なら、可愛さに負けて色々世話を焼いてしまいます(それはそれで一つの生きる力かもしれない)。やっぱり教えるよりもやってあげた方が、何事も早く済みますよね。でも、全部やってしまってあげては、子供の「足」が育たないんです。行動範囲が広まらないんです。例えば、何か子供が欲しい物があれば「欲しい」という気持ちを伝えるという意思疎通を教えるんです(口で言ったり、指差ししたり)。ちょっとでも順序が変わるとパニクるのであれば、毎日少しずつ順序を変えて、変わる事に慣れさせるんです。少しずつ親の指示に従うこと(本当に簡単な事から)を教えて、指示に従う力を積み重ねるんです。道路に飛び出してしまわないように、親の手を掴んで一緒に歩く事を教えるんです。いつも抱きかかえたり、ベビーカーにのせていては、一緒に歩く事は勝手に学んではくれません。毎日の教育で、本当に将来の行動範囲というか「可能性」が広がるので、気をつけてみてください。

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