投稿

5月, 2022の投稿を表示しています

2袋のクッキー

 先日こちらの教室で、保護者と少しじっくり目にお話をする機会がありました。この日の悩みの内容は、療育というよりも教育に関する夫婦間の意見の違いについての悩みでした。普段は控えめなタイプのお母さんなのですが、この日話したいことがたくさんで、一生懸命お話していただいて、そしてひと段落した時には、ほーっと体の力が抜けたようでした。気が付けば、子どもは母が準備してきた朝ごはんの残りをカバンから出していました。「そう言えば、朝ごはんをゆっくり食べている時間がなくて…」とお母様。お腹が空いているなら、今食べさせましょうね、と子どもに食べさせていながら、ふと私も気づきました。この状況をよく考えると…絶対にお母様も朝ごはん、食べてませんよね。子どもの食事を自身の食事よりも優先させる母親が圧倒的に多いんです。既にお昼前の時間です。相談したいことで頭がいっぱいの時ほど、子どもの準備や世話は普通にこなせても、自分の食べることとか、忘れてしまうものなんです。朝ごはんの残りを子どもが食べている間に、お母様にも教室からクッキーを2袋出しました。ママがクッキーの袋を一つ開けると、子どもが寄ってきて欲しがり、ママはそれを子どもにあげてしまう。母親ってそんなものです。自分も食べていない筈なのに、子どもを優先させてしまうんです。結局もう一袋のクッキーは、私が子どもと遊んであげている間に、こっそりと食べてもらいました。クッキーが2袋必要なのは、こう言うことです。  ここから学べること一つ目は、相談場所を作ること。子育てをしていると、「どうしても今話したい」って言う時、ありませんか?いつでも相談できるお友達がおられる方は良いのですが、子どもの悩みっていつ起こるのか予測不可能なんです。ですから、「今ここで、どうしても」という時に、必要な相談を常に誰かにはできるように、相談できる相手との関係性を1人でも多く作っておく方が良いのです。ぜひ療育機関でも、普段から少しずつ、大したことのない話題からでも良いですので、相談しておいてください。何かあった時に相談できる関係性を作っておいて欲しいからです。こちらの教室では、予約制ということではなく、いつも通りの療育の時間でも気軽に保護者が相談できるような雰囲気を作るようにはしています。子どものこと、家族のこと、園でのこと、明日に回さずに必要な時に誰かに話すことが、子育てをす

モンスターペアレントと言論の自由:学校教育に親が物申すこと

  「おいしい給食」と言うドラマを見ました。俳優の市原さんがメチャメチャ良い味出してるドラマですね。ドラマ自体はエンターテイメントとして見てて面白いと思うのですが、学校給食って私は良い思い出がありません。私の場合好き嫌いはあまりない方で、給食が食べられずに困った思い出はないです。また、無理矢理食べさせられたような記憶もない。でも、単純に給食が美味しかった記憶がない。美味しくないけれど、仕方のないもの…給食はそういうイメージでした。  でもこのドラマ、おいしい…給食?給食に美味しいという形容詞、つけて良かったかしら?皆さんは学校給食、好きでしたか?私が見たドラマのエピソードは、「ソフトメン」と呼ばれるビニール袋に入った細めのうどんのような麺が取り上げられていました。このソフト麺をカレーとか、その他 からめる タイプの具材と一緒に食べるのですが、ドラマではこれが「給食の4番バッター」のような表現で颯爽と登場し、皆が嬉しそうにこの麺をすする。驚きました。ええ!?これこそが、学校給食の私の記憶の中では、特に美味しく ない もの、かつ頻繁に出てきて 嫌な ものと位置付けられていたものでした。ドラマの中でも袋の上から手で4等分するシーンがありましたが、ソフト麺なので手でもフォークでも簡単にブツブツ切れる。別に味付けがついている麺ではないのですが、歯応えのない食感なのか、小麦の味なのか、なんだか分からないけど、すごく美味しくない。でも確かに、特に文句言っている人も聞いたこともない。やっぱり、そう思っているのは、私だけですかね?あの美味しくないものが、世の中では「給食の4番バッター」等ともてはやされている?4番バッターって、スター選手ってことですよね。給食のハイライト。私にはそんなこと言う意味がわからない。嫌いなのは私だけ…やっぱり私の意見はマイノリティー(少数派)か…と思いました。だから友達少ないのか…。  こういう「ええ?私だけ?」と言う気持ち、実は、特別支援の生徒を持つ保護者は、学校でよく感じる気持ちなんです。支援の必要な子どもって、当たり前ですが少数派です。基本的にみんなと一緒のやり方で学んだり、みんなと一緒に行動することが難しい。でも、日本の学校教育は大多数に合わせようとする社会的な圧力が強い。極端に言うと、大多数はの人のやりたいことは「普通」と呼ばれ、少数派のやりたいこ

注意する派?しない派?:フィードバックと褒めること

  公園で子どもと遊んでいると、他のお父さんと子どもがキャッチボールをしに来ました。小学1、2年生かな?と思える男の子、なかなか上手にお父さんとキャッチボールをしています。何とはなく見ていると、お父さんの投げたボールがうまく取れず、お父さんからアドバイスを受けると、「うるせ〜クソジジイ」と言いました。小学校1、2年生でそんな言葉をもう覚えてしまうのですね。想像ですが、お兄ちゃんがいるんじゃないかな?と思って見ていました。お兄ちゃんがいると、良いことも悪いこともかなり早く学習していきます。そんな悪い言葉、お父さんはどう反応するのかと思って見ていたら、「ジジイじゃねえ!・・・(声を小さくして)初老だわ。」と言っていました。中々面白い。座布団一枚。  そうです。親に「ジジイ」はダメです。このお父さんも「ジジイじゃねえ」とすぐに訂正していました。ダメですよねえ。最近公園に行っても電車に乗っても、子どもの悪い行動をしっかりと注意することを親がしない場合が多くて、びっくりします。別におしっこ漏らすほど怒る必要はないですが、少なくとも悪いことは悪いと言って欲しい。  ABAの中では、子どもの行動について、それが良い悪いなどの評価を伝えることをフィードバックと言います。フィードバックは勘違いも多い技法の一つなので、紹介しますね。例えば、子どもが良い行動をした時には、「すごいね」「よくできたね」と褒めますよね。同様に悪い行動をした時も「それはしないよ」「良くないね」と伝えることになります。「よかったね」と行動をほめて、適切な行動を増やす強化の部分は非常にわかりやすいので、どなたにも納得してもらいやすいです。しかし良い行動が起こらなかった時、間違った行動が起こった時、どうすれば良いのでしょう?  間違った行動をする時、行動をする人が、その行動が間違いだと知らないと困るので、まずそれを伝えます。例えば、カーナビでルートを間違えた場合、カーナビは「間違えました」とは言いませんよね。不必要な罰は与えない。しかし「ルートを再検索をしました」とルートが変わる。これは間違いを指摘することと同じになるので、フィードバックになります。指摘するだけでなく次の適切な行動をプロンプトするのが、フィードバックの役割にもなります。ただ勘違いしやすいのは、「間違えました」と言わないからと言って、間違いを指摘しなか

学習障害、学校教育への疑問はどうするの?

 実は昨年のクリスマス頃、名古屋市の教育委員会の方と懇談会を持つ機会がありました。教育委員会のお偉い方々とミーティングができるなんて、一体どんなことかと申しますと、きっかけは、名古屋市議会に提出された保護者からの手紙でした。読み書きなど特定の分野において困難を示す学習障害は、一般に通常の知能を持ち、会話にも社交面にも問題がありません。俳優のトムクルーズが読むことができなくて学校をやめたと告白したことでも有名でしたね。今やクラスに何人かいてもおかしくない状態。ただしその生徒さんの場合は、障害の発見も遅れ、支援級に行ったり、普通級に戻ったり、その中で学校の問題点、例えば適切な合理的配慮が遅れたこと、個別支援計画がシェアされていなかったこと、支援級で必要なカリキュラムが教えられていなかったことなど、様々な困難に悩まされました。この手紙を受けて、教育委員会のトップである教育長が議会で謝罪するという大きな事件が起こったわけです。  これを受けて、議員さんのお力添えを受けて、当事者の方と、親の会の方、私のような支援事業を営む者も交えて、小さな懇談会が開かれました。議員さんから、今回は話を聞いてもらうだけで、返答はまだもらえませんよ、とのこと。良いです、良いです。こんな懇談会が得られるなんて、またとない機会ですし、返答は後ででも。そのようにして開かれた懇談会では、特に当事者本人からの言葉が皆の胸を打ちました。発見が遅れたことについて、どうして読めないってお母さんに言えなかったの?と質問されて「馬鹿だと思っていたから」との返答。将来は何になりたい?と質問されて「将来は特別支援級の先生になりたい」との返答。こんな率直な受け答えができる利発な子が、どうして馬鹿なことがあるかと、きっと将来は先生になれるよと、参加者皆が涙ぐんだ瞬間でした。  数ヶ月後、保護者が回答について教育委員会に打診すると、「回答するつもりはありません」とのこと。どう言うことでしょう?さらに「もし回答するにしても特に進展はないので、あまり意味のないものになります。それでもよろしければ議員より連絡をいただきたい」との返答を受けたそうです。特に進展はないとは、どう言うことでしょう?もちろん回答は必要ですと議員さんを通して回答を要求してもらいました。その内容を大雑把に言うと、現在既に行われている教育システムを説明するだけで