個別教育目標・IEPその1:個別性

 先日東京を訪れた時の話をしますね。大学生時代に東京に住んでいたんですが、もう10何年前の話なので、町並みが新鮮に映ります。新宿なんか凄い人数の人が歩いていて、特に朝よりも夜の方が人が多い印象でしたね。夜11時でもすごい人が流れている。名古屋とは人口が違いすぎるなあ、何でこんな人数の人が生活していて大混乱にならないんだか不思議だと思いません?あれで地震なんかあったら大混乱で人波にやられそう。昔のゴジラの映画みたいになるんだろうか。女の人がキャーって叫んで。怖い怖い。まあ名古屋の方が南海トラフ地震予想などでやばいと言われているか。てな事を考えながらついぼんやりしてしまいます。口を開けて歩いてなかっただろうか。歩く事に集中できてない。ただでさえこんなようにぼんやりしているのに、さらに地方から来るとビルの上の方にある看板広告などに視線を奪われて、何となく上向いて歩いちゃいますよね。ビルで空が狭くって、しかも色々な広告で情報過多になり、どうしてもフラフラ歩いてしまう。地方出身者か観光客であることがバレバレですよね。ふと、「このままフラフラしているとぼられるかもしれない」と、地震よりもより近未来に起こりそうな現実に引き戻されます。ただのカラオケの呼び込みの人たちにも、何となく「この人に言葉巧みに騙されるかも?」とか、東京の人がみんな私を狙っているかのような被害妄想になるので、さらに怪しい物腰になり、しかも鞄をしっかり持つので必要以上に肩が凝ります。今回は特に迷わずに帰ってこれましたが、地方の人が東京に出るとこんなに大変なんですよ。え、私だけ?
 知らない(久しぶりの)土地を探索するということでも、人ぞれぞれですよね。知らない場所ということですから、どの人もそれなりにストレスはあるでしょうが、特に看板なんかにとらわれない人もいれば、気を取られて他にぶつかってしまう人もいる(東京に住んでいてもそうなる人もいると思う)。私のように考え事でぼんやりしてしまっている人もいれば、ちゃんと目の前のこと(歩く事)に集中出来る人もいる。呼び込みや客引きに対応するのも気にならない人もいれば、やけに丁寧に対応してしまう人もいるでしょう。自閉症などの発達障害の治療教育では、その個別性に重点を置く事が必要となります。
 私の尊敬するアメリカの学校の校長先生がいたのですが、その校長先生の意見によると、教育目標は学ぶべき事・教える事すべてを羅列するのではなく、それぞれの子どもの強い点・弱点を理解した上で、一般の学習カリキュラム(教育課程・教育内容)の内容をその子がどうやったら学べるようになるのか、足らない部分を付け加えて支援するのが個別教育目標であるということです。例えば、色を学んだり、数を学んだり、そいうった事は3−5才の子どものカリキュラムに入っている訳です。別に個別な目標ではない。しかし、集団で勉強する上でみんなと一緒に輪になって座って先生の読むチューリップの色の本を聞いてくれなければ、それから図画工作で色んな色を使う活動に参加してくれなければ、色を学ぶ機会が極端に減ってしまい学習に支障をきたします。子どもによっては、看板に目をとられて歩いている私のように視覚情報に惑わされて、先生から言われた言葉は素通りしてしまう子どももいるかもしれない。他にも、先生の見本を真似することができないとか、その子どもなりの弱さを見つけていって、それをカバーすることを目標に入れる事で、本来のカリキュラムの学習(色・数を学ぶ、他の子どもと仲良くすることを学ぶなど)が出来るようになるのです(またはそれに近づくようになる)。地方から上京して来た人の例で言えば、人によっては徐々に看板や地理になれることにより、目的地に向かって歩く事に集中するようになれるかもしれないし、ついつい呼び込みや客寄せに丁寧に返答してしまう人にはしっかりと「No(いりません)」と言えるように練習することで、歩く事に集中できるようになるかもしれません。
 こういった本来の意味の個別の目標は、一番始めのIEPというか、まだ子どもを教え始めていない時にはできません。子どもの学び方までは1回や2回会っただけではわかりませんよね。毎日のようにしっかり療育してそれで療育する側が見つけて行くのです。 しかも療育をして行くと、「こうだな」というような見込みが裏切られることもよくあるので、目標を立てたからと言ってそれにあまり縛られずに、臨機応変に対応することも大切かもしれません。もちろん最初から予測する事を諦めろという意味ではなくて、出来る限りの予測は大切だけれど、それに縛られないということ。1年後にその子どもがどうなっているか、正確な予想はできないながらも、だいたいこれくらいは教えて行きたいという見込みが目標となるのです。1年教えていれば、その経験からある程度の指針というか見込みはつきますが、それでも指針の変更を迫られる時もありますよ。それが教育の面白さというところなので、悪いという事ではないかもしれません。
 本当に個別に対応してくれているのか、療育者を選ぶ際は個別対応に焦点をあてることが重要であると思われます。子どもの学習を見ていて、ええ?と驚くような他の子どもとの違いに気づいて、それを個別に解決して行く作業を楽しんでくれる先生、療育家が見つかると良いですね。自閉症に限らず型にはまった人生は面白くありませんから、その個別性を楽しまなければ。

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