おかしな行動

 11月22日の日曜日に第1回「私もできるABA」の追加公演を行います。興味のある方はご参加ください。(詳しくはwww.kojitakeshima.comまで。)
 うちの教室の近くには、市の運営している公立の療育園があります。ずいぶん前の話しですが、教室を開いてしばらくした時ですから、2年以上前ですかね、一度ご挨拶にだけ伺いました。夕方だったので園長先生はおられなかったのですが、たまたまおられた園長代理の先生に名刺とパンフレットだけ渡して帰りました。ご近所ですから、機会があればコラボなどもできたら嬉しいですよね。先日その療育園に通いながら、うちの教室にも通ってくださっているお子様の保護者の方から、「園の先生方もここの教室のことを知っておられますよ」と報告を受けました。やはり挨拶には言っておくべきですね。
 しかし続きがありました。療育園内は内履きの靴が必要だったようでのですが、私は土足オッケーと勝手に勘違いしてしまったようで、土足でそのままヅカヅカ上がってしまっていたようでした。挨拶をした園長代理からは特にお咎めもなかったので、そんなことがあったことも全然気づかないまま、保護者の方からお話を聞くまで知らずに今まで過ごしておりました。あーあ、やっちゃった。挨拶になんか行かなきゃよかった、やっぱり。園では、「ああ、あのアメリカから来た、土足で上がる先生ね。」と言われていたんでしょうか?少なくとも「土足の先生」という覚え方をされていたでしょう。それにしても、おかしいですね。その時まだちょうどアメリカから帰って来たばかりとはいえ、アメリカでも家では土足で生活してこなかったはずです。私が教えている三重短大などは日本の学校でも土足で大丈夫だし(就学前の園ではなく大学だけれど)、そのせいかな?うーん、どうして気づかなかったんでしょう?感覚のずれとは怖いですね。だいたい園長代理も、言ってくれれば良いのに・・・でも確かに自信満々でニコニコ土足で上がってこられたら、やっぱり言いづらいですかねえ・・。
 自閉症の診断を持つ人たちは、感覚がずれていることもあるというような話を以前にもしましたが、「アメリカ帰りの土足の先生」と、どちらがずれているでしょうね?自閉症の診断の有無にかかわらず、「初めて何かをしようと試みた」人というのは、ちょっとずれた行動をとることが多いようです。例えば、今まで全然話してこなかった子ども、「最近話すようにはなったけれど、言葉にならないようなことを大きな声で話すし、困ったねえ。」と言う心配事はよく聞きます。今まで全然話さなかったのですから、突然言葉になることを期待しても、それは「望みすぎ」かもしれません。その上、音量調節までも突然はできませんよね。言葉にならないことを大きく話すこと自体が悪いのではなく、もっとたくさん話してもらって、徐々に言葉に近づけていったり、その音量調節の適切さを学ぶ必要があるのです。発達に障がいがあると、話し始める瞬間が定型発達の子どもよりもずいぶん遅かったりするために、大きい子が意味のないことを話すと不思議に思われてしまうこともあります。しかし、定型発達の子どもも1歳前後で話し始める時には、いろんな言葉にならないことを話して、毎日練習して徐々に上手になっていくのです。むしろこの時期にたくさん(意味が通じようが通じまいが)話してもらわないと、次の段階に行くスピードも遅くなります。
 同様に、これまで要求をしてこなかった子どもが要求できるようになると、時にその要求が度を越すように感じられる(特に同じものを何度も要求する場合)こともあります。こんなに何度も要求するって、おかしいんじゃないの?でも、定型発達の子どもも、成長過程では同じ絵本を何百回も要求している場合も多いのです。
 また、これは発達の遅れの少ないお子様でも同じことが言えます。例えば、人の後を追いかけるタイプで、逆に自分で判断して、自分で行動することがあまりなかった子が大きくなって、誰の行動も真似ずに、誰の指示も受けずに行動をし始めると、「ええ?この子はこんなにおかしい行動をする子だったかな?」というような行動をとることもあります。自分で考えて行動したことがないからです。だいたい思春期になって始めて、親から指示されていないことを自分からやり始めることが多いように思われますが、これはは必ずしも思春期に限りません。具体的に言えば、親の言う通り大学進学に向けて頑張ってきたけれど、ある時ポッキリ折れるというか、「もう親のいう通りにしない」と決めた子がいるとします。実はこう決めた瞬間、これまで親のいう通りに従ってきて、何も自分では考えて判断しなかった現実に目を向けなければいけません。自分で考えて何かをやったことがないのですから、自分では突然うまく行動できません。こういう場合、「ええ、こんなことをするの?」とか「こんな行動、考えたらおかしいってすぐわかるでしょう?」というような、不可解だったり、不適切だったりする行動が一時的にしても増えることが多いのです。時にはそれでトラブルに巻き込まれたりすることもあるかもしれません。
 しかし、問題はそのおかしな行動をとること自体ではないのです。これまで自分の判断を使って適切な行動をとってこなかったのですから、これから練習する必要があるということです。子どもによっては、自分からやろうという動機が最初からあまりなかった場合も多いでしょう。自閉症児の場合は本当に「やる気」というか、何かをしたい動機があまりない場合が多いです。放っておくと、手をプラプラさせたりといった自己刺激行動ばかりしています。こういう子と色々と遊んであげて「人と遊ぶのは楽しい」という経験をさせていくと、逆にすごく盛り上がって叫びまくることもあります。適切に盛り上がったことがないのですから、仕方ないでしょう。また、親が普段から間違い回避させようとするあまり、間違いする前に「それはこういう風にしなさい」と答えを教えてしまったことで、人から言われないと何をしたら良いのかわからない子どもに育つ場合もあるかもしれません。いずれにせよ、いろいろと間違えさせて、おかしな行動であったとしても自分でやらせてみせて、その自分の行動の結果から自分で行動を変えていくことを学ぶ(間違いから学ぶ)必要があるのです。
 「こんなにずれている」と感じるのは、これまでの経験の積み重なりの違いです。経験を始めるのに、遅すぎることはありません。「おかしい」と指摘・批判するだけではなく、どうやったらその子がその経験から学んでいけるのか考えましょう。

コメント

  1. 最近わが子が、楽しかったことは、しつこく「やって」と、言うようになりました。何が面白いのか分からないことも、「やって」と言うので、笑いのツボがよくわかりませんが、家族で楽しんでいます!

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