自閉症症状(スクロール)と老化現象(思い込み)

 おじいちゃんを助手席にのせていて運転していると、こんなことがありました。交差点で信号待ち中ぼんやりしていると、おじいちゃんから青だから進めと言われました。「またぼんやりしていて信号に気づかなかったか」と思い発進しかけましたが、よく信号を見ると信号はまだ赤なんです。「ええ?あれ赤じゃない?」と言ってもおじいちゃんは「おう。進める。」と自信満々に言っています。「赤だよね。」と祖母に確認すると、やはり赤だと言ってくれました。そのうちに信号は青になって渡れたのですが、おじいちゃんはすっかり青だと思い込んでしまっていたようなのです。年取って来ると、こういう思い込みってよくありますよね。
 私の勝手な(専門的でない)分析を加えるとすれば、生活に変化が少なくなってやったことの繰り返しが増えると、これまで通りなのであまり注意したり頭の中で準備・整理したりしてやることなく、言わば「自動的」に繰り返すようになります。変化の少ない生活の中で、「これまでの経験と同じになるだろう」的に行動することを続けると、状況の変化に注意を向けたり、変化に合わせてしっかり反応することが弱くなります。これが老化の始まりというものじゃないでしょうか?
 しかもこうやって「自動的」に行動していると、あまり使われない脳が他に刺激を求めているせいか、頭の中で過去のことを思い出したりしてしまうのではないでしょうか?最初からよく観察して行動していないのに加えて、頭では他事を考えているのですから、余計にぼんやりしてしまう訳です。
 さらに言えば、よく見てないだけではなく過去の行動パターンに「凝り固まる」ような印象を受けます。思い込んでしまったことから柔軟に抜け出せず同じ間違いを繰り返したり、「よく見れば間違いにすぐに気がつくのに・・・・」という結果になります。例えば探し物をする際も、「過去に物がみつかった場所」を何度も探すだけで、実際には目の前にある物が見つからなかったり、「もうバッグの中は探した(バッグの中にはない)」と思い込んでいるので探さなかったりします。自分ではしっかり探しているつもりですから、もちろん見つからないことに苛立ちます。
 実を言うと私も先日仕事のレポートをすっかり忘れました。しかも、本人はすっかり書いたつもりになっていたので、生徒さんの親御さんから聞かれた時に、「あれ?書いて送りましたよ。」と自信満々に答えていましたが、あとでコンピューター見て愕然としました。私の思い込みだったようです。若いときは忘れることはあっても、そんな事実でないことを思い込むってありえないと思いません?怖い、怖い。
 面白いことに、自閉症の中にも、これに似た症状、行動をとる子どもが多いのです。例えば、模倣を教える際、「パチパチする」動作と「バンザーイ」の動作の模倣を教え、そして次に新しい動作の「バイバイする」を教えるとします。自閉症の子の行動でよくあるパターンとしては、見本を見て真似をするのではなく、初めに学んだ「パチパチ」「バンザーイ」を順番にやって見せてくれます。これは他のスキルを教えるときも同様です。「バナナとって」と「みかんとって」を教えて、次に「リンゴとって」を指示されても、バナナを渡したり、みかんを渡したりするのと同じです。「以前にバナナを渡して褒めてもらえたから、次もバナナを渡しておけば良いだろう。バナナがダメなら、みかんかもしれない。」的な行動で、よく見てない、よく聞いていないことを示しています。ちなみに、英語ではこういった過去に教えられた行動を適当に順番にやって見せることを、コンピューターの画面をスクロールさせて選択するのと似ているので「スクロール」と言います。
 また、自己刺激とよく言われますが、手のひらを目の前に動かしたり、 何か意味の分からない言葉を言っていたり、目が泳いでいたりすることもあります。過去のパターンで行動してしまいやすいだけでなく、頭で他事を考えているのでしょうか、ますます課題に集中できない訳です。
 さらに言うと、「思い込んだらそれ以外は考えられない。」というか、何度も同じ間違いをするようなこともよく見かけます。例えば3択でリンゴと、バナナと、みかんがあるとします。「リンゴちょうだい」と言われてバナナ渡し、それがダメならみかんを渡し、さらにそれがダメなら、またバナナに戻ってしまうのです。消去法からすれば明らかにその次はリンゴなのですが、何故かバナナとみかんを繰り返してしまうのです。こういった間違いを繰り返して結局は苛立ち、やる気をなくしたりする点から言っても、なんとなく「自分ではしっかりやっているつもりだから、何で正解じゃないの?。いい加減にしてよ。」とでも言っているいうような印象も受けます。
 自閉症の子どもは繰り返しを好む、いつもと違うとパニックを起こす、ということがよく言われます。これも、一度「こうなる」という勘違いした予測をしてしまってたら、凝り固まってしまった場合はなかなか、「違うのね。」と納得出来ず、「何で違う!こうなるはずだったのに!」ということでしょうか?年取ってきて凝り固まって、思い込んでしまう人たちとなんとなく通じるような気もします。
 私はこういった行動を改善するのが療育の仕事と思います。「注意して見る」「他事を考えずに言葉を使って準備しながら問題解決する」「凝り固らずに変化に対応する」というような大まかな行動を教えます。今日は私の勝手な観察と主観でした。

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