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教師の体罰その2

 ここ一週間程度で学校における教師の体罰、柔道等のスポーツにおける体罰が新聞やニュースに連日のように取り上げられ、大きな話題になっています。体罰については皆様も色んな意見があると思います。私もこれまでにもブログの投稿でコメントしてきましたが(「罰」「教師の体罰、指示に従う事」)、せっかくの機会なのでさらに押し進めて行きたいと思います。行動を科学的に考える専門家の立場から体罰の効果について、それから体罰の背景となった日本の文化、価値観について、外国暮らしの長かった者の視点からコメントさせて頂きます。  まず行動の専門家の立場から、なるべく専門用語を使わないで話します。ここでは、「体罰を使う事が良いか、悪いか」といった価値観ではなく、「体罰を使うと行動の変化に効果があるか、ないか」ということから始めます。行動の科学という視点から罰の使用が研究され、その効果や副作用なども色々分かっています。罰を本当に簡単に説明すると(科学的には正確な説明でないのですが)、行動の後に何か嫌な事があって、その行動が起こりづらくなる事を言います。罰で行動の頻度を下げることは可能です。しかし、「罰」の投稿で例を挙げて説明しましたが、受けた側に対して副作用を起こす可能性がある使いづらい手法なのです。副作用としては以下の通りです。 恐怖反応(怖くなっちゃったり)や八つ当たりなどを起こす 罰を受けたその場面や、罰を与えた人を避けようとしてしまう 罰を出す人がいない時に、逆にその行動が増える (スピード違反などはカメラのある所だけスピードを落としますよね) 罰を使うという行動の見本を見せる(真似させてしまう) 代わりに何をしたら良いのかは教えられない 専門家がうまく使った場合にもこれだけ副作用があるのですから、専門家は安易に罰は使いません。ですから専門家は、罰を使って行動を減らすのではなく、代わりに副作用のない「強化」を使って望ましい行動を増やします。「強化」を簡単に言えば、正しい行動があった時に褒めたりして将来もっと起こるようにするのです。  ちなみに、上記の副作用は、罰が上手く使えた場合(減らしたい行動が減った時)にも起こりますが、下手に使った場合(行動が減らない時)にも起こります。私の専門家としての経験から言うと、上手く使っているつもりで実は上手く使えていない場合が多いのです。...

指示に従う力・教師による体罰

 今日中日新聞と東海地方のテレビニュースで、愛知県小学校、特別支援学級の担任教師が自閉症児の子供(10才)の両手を縛るというニュースが出ていました。中日新聞によると、子供が片付けする時間でない時に片付けをしてしまったので、「今は授業の準備をするときだよ」と説得したが、聞かなかったため(この子供は言葉があまり理解できなかったのですが)ビニールひもで両手首を二重に縛ったということなんです。しかもそれが明らかになったのは、教員自身が連絡帳に「たいほしました」と書いたからなんです。ちょっと感覚が信じられませんね。親が連絡帳に「人に迷惑をかけない行動をするように育てたい」と書いていたのを受けて、教員はその思いを受け止めて厳しくしようと思ったということです。ここで問題になるのが、教員の教える力、障がいのある子供への指導力です。明らかにどう教育して良いのか分かっていない。  教育委員会はぜひこの教える力の欠如を真剣に捉えて欲しいのです。学校はこの事件を機に、特別支援学級の担当を増やし、自閉症の勉強会を開く事を決めたようです。しかし、「勉強会」って実質どういうことでしょう?先生同士で勉強をしろってことでしょうか?もし本当に教員が暗中模索状態で教育している状態であれば(問題が根深いとすれば)、教員にとっても子供にとっても悲劇ですよね。どちらも辛い状態にあって、抜け出せない。専門家から正式なトレーニングを受けて、治療教育の方法を身につける必要があるかもしれません。教員の教育の技術が改善されなければ、体罰という形ではないにしても今後何かしら問題は現れ続けるのではないでしょうか?また、こういう事件があるということは、一般に教員が専門的なトレーニングを受けていないことの現れであるかもしれません(氷山の一角である可能性がある)。まあ私のような治療教育の専門家がこう言うと、「仕事を探しているんじゃないの?」と言われかねませんので、このくらいにしておきます。熱くなってしまってすみません。  では、お母さんが心配したように「人に迷惑をかけないように」人の指示に従うことを教えるにはどうしたら良いでしょう?基本は、1)先生が指示を出す、2)生徒が従う、3)先生が褒める、です。簡単に言えば、生徒が指示に従った時に必ず褒める癖を付けることです。生徒が指示に従う経験と、褒められる経験を何百回何千回と繰り返...

行動範囲を広げる

 おじいちゃんの言い出しで、おじいちゃんの車を私の名義に変えました。米寿を昨年迎えたおじいちゃん、まあ年齢からすれば車を諦めても良いお年頃。ただしこれまで私のブログを色々読んで頂いた方はご存知の通り、まだまだゲンキです。まあ、あと2年くらいは車乗るんだろうなあと思っていところ、電話がありました。祖父「2月に車検もあるし、どうしようか考えとったんじゃ。お前にやる。」私「ええ?そうなの?」祖父「もうそんなに乗っ取ってもあかんからのう。やる。」私「ありがとう。」祖父「ほいでな。車検取ってからやるから。」私「はあ?何で自分で乗らんのに車検取るの?それぐらいやるよ。」祖父「そんな高い車でもないのに車検代まで出し取ったら、仕方ないやろ。」私「そんな事ないよ。車検くらいは、、、」祖父「(私の言葉を遮って)もう決めたの。じいちゃんは車検をやってからこうじに車をやる。」私「ありがとう。(おじいちゃんを知っている人なら、一度決めたら、もう何を言っても仕方ないね。)」こんな感じで決まりました。  実は私、日本に帰ってきてすぐにバイクの免許も取って、バイクを買って乗り回す予定だったのです。しかし、バイクじゃ荷物も詰めないし、カリフォルニア帰りで寒さに弱いということもあって(基本的にアメリカ帰りの人は根性無しと思って良い)、「やっぱり小回りの効く軽自動車かなあ(アメリカ帰りの人は道路の狭さ、駐車場の狭さにやられる)」と考え直していた所だったので、渡りに船ってやつですか。ただし、オートロック?(鍵を押すとピッって言って鍵が開くやつ)もついてないし、窓も手動(手でぐるぐるするやつ)、ラジオだけついていて(もちろんiPod等はつなげない)、「こんなに何もついてない車が今時あったのか?」という感じですね。しかもおじいちゃん、名義変更直前にちょっと事故って車を傷つけてきました。やっぱ運転は危ないか。「ちょっと苛ついとってのう。」と、恥ずかしそうにしていました。年とってきたら、普通はまごついて事故るよね。苛ついててぶつけるとは、理由が違うね。  まあ車って足ですよね。歩いて行けない色んな所に連れて行ってくれる。車を諦めることで足がなくなって、残念ながらおじいちゃんの行動範囲が狭まるのです。まあ私のおじいちゃんは近くにいるので色々どこかへ連れて行ってあげるとして、行動範囲の話をします。自閉症・広汎性発...

自閉症をウィキペディアで検索

 自閉症について、福祉のしくみについて、治療教育について、ちょくちょくウェブで検索します。まず自閉症というキーワードで検索すると、始めに出てくるのがWikipedia(ウィキペディア:インターネット上のただで使える百科事典)の自閉症ですよね。これはアメリカでは一般にも浸透しているもので、徐々に、日本でも使われるようになってきたということでしょう。この辞典では執筆や編集が世界中のボランティアによって行われるということですが、内容がどれくらい的確かは疑問視されることもよくあります。私個人の大雑把な意見としては、内容の正確さについて慎重になってさえいれば(すべて鵜呑みにしてしまわなければ)、情報が簡単に手に入って、広告や有料サービスもなく、便利なので私はよく使います。  でも英語のページと日本語のページの内容を比較してみると、ちょっと、というか大きく違うんですよね。私はてっきり、英語のページがそのまま翻訳されているのかと思いましたが、そうでもないようです。治療教育をしてきた私として自閉症のページで一番びっくりしたのは、「治療」という所です。英語バージョンで紹介されるのが、ABA、発達モデル、TEACCH、言語療法士のセラピー、ソーシャルスキルトレーニング、そして作業療法士のセラピーなどです。さらに"Autism Therapy"という題名でより詳しく色々療法がのっています。でも日本語バージョンでは、「治療」という所では、4行のみの説明で、「TEACCH」と「ソーシャルスキルトレーニング」しか紹介されていません。しかもその他にはセラピーなどのページはありません。ちょっと、ええ?それだけ?と思いました。どうしてでしょう?日本では色んな治療教育があまり手に入りづらい状況なので、「そんな日本で手入らないセラピーは紹介しなくて良し」という事なんでしょうか?日本で執筆を担当したボランティアの人が、日本で手に入る情報のみを基に、英語での研究や情報は無視して執筆したんでしょうか?疑問です。ABA(応用行動分析)で博士号を取ってる私からすれば、これまで私が勉強してきた、アメリカや日本の研究者が積み上げてきた行動分析の成果は日本では紹介されないのか?とちょっと憤りを感じます。「治癒」の投稿で話した通り、カリフォルニアでは簡単にABAの治療教育を受けられて、大きな効果も確...

クレーン現象、マンド、発語

 前回のシェイピングの投稿に関して、以下のような質問がありました。投稿として回答させていただきますね。ちなみに、知らない人から質問・返答をいただくのは初めてです。ありがとうございまーす。去年12月16日からブログを始めて1月程度ですかね、やっと友達以外の人からも見てもらえるブログになって来たと言う事でしょうか?まさにブログ、インターネットの醍醐味ですね。  以下が質問の内容です。「どうしても、クレーン表現で、ある程度すんでしまうので、言葉を話す必要性が低いため、遅れてしまった模様です(現在4語程度)。何かしら明確な条件があると楽なんですが。」知らない方に注をつけると、「クレーン表現」とは子供が親等の大人の手をつかんで、欲しい物のところまで連れて行くことです。親の手を道具のように使うことから、「クレーン」と言われます。言葉の発語がない、要求の仕方が分からない子供(大人でもある)によく見られます。質問に答えられているかは分かりませんが、手当たり次第回答しますね。数打ちゃあたるって訳でもありませんが、打たないよりは良いでしょう。   まず始めに、「クレーン表現で、ある程度すんでしまう」とありますが、そうなんですよ。お母さんはやっぱり母親だから、子供のやりたい事って結構分かってしまうんです。言葉が遅れたのは「お母さんのせい」と言うよりは、母性本能と治療教育とがうまく合致しない特別例という感じですかね。お母さん達には、「絶対何もただではやらないで。」とアドバイスします。というのは、子供の欲しい物をそのまま与えてしまったのでは、教える機会を逃してしまった事になるからです。子供が欲しい物が明らかに分かっていても、分からないふりをして、子供に要求する(専門用語ではマンドと言います)という努力をさせてからその物を与えるようにするんです。例えば、子供が私の手を引っ張っていって、オモチャの所に連れて行くとします。オモチャを見ると、電源がついていないので子供が遊ぼうとしても遊べない状態になっている事が分かります。本来からすれば、子供が私の手を引っ張るよりも、「オモチャが動かないからスイッチ入れて」と口で要求出来れば最善ですよね。ただし、そんなこと突然出来るようになれば苦労はないので、できることから徐々に強化(シェイピング)していきます。ここで選ぶ言葉は、子供が一番言いやすい言葉にします...

ABA:シェイピング

 治療教育でよく使われる応用行動分析(ABA)の中に、シェイピングという手法があります。これは教えたい行動が今起こっていない時、それに近い行動を増やし、徐々に最終目的の行動に近づけるというものです。例えば、サーカスの熊や象に行動を教える時、口で説明してもダメですよね。基本的に良い行動が起こった時に、えさを与えてその行動を強化します。でも、今起こっていない行動をどうやって教えれば良いのか。それに近い行動に徐々に変えていくんです。例えば熊にぐるりと回る事を教えるには、最初はちょっと横を向いた時にえさ強化子(好子)を与える、それが出来るようになれば、もう少しだけ前より横を向いた時にだけえさを与える、さらに、後ろまで向いたときだけえさを与える、と徐々に徐々にぐるりと回ってしまうまで続けるわけです。  行動分析の創始者とも言われるスキナーは、水やえさなどの好子・強化子を使って動物に色々な行動を教えました。鳩にピンポンをするように教えたり、戦争中には鳩に目標に向かってつっつく行動を教える事で、ホーミングミサイル(目標追跡型のミサイル)の中身に鳩を使うということも提案していました(実用化はされませんでしたが)。  もちろん人間にも(大人にも子供にも、健常児でも自閉症児でも)使えるこの手法ですが、実は手法の習得が難しいんです。0.1秒強化子(好子)を与えるのが遅れるだけで、どの行動を強化したのかずれてしまうのですから、下手な人がやると必要のない行動が増えてしまって、一向に望む行動まで行き着かない。時間もかかります。ただし言葉を教える際は、どうしても無理に言葉を絞り出させる事ができないので、シェイピングを使わざるを得ないことが多いのです。例えば何も言葉を話さない子供が、何でも良いから音を出した時には褒めてやったり、遊んでやったり、おやつをあげたりして強化するんです。偶然でも音が出るようになったら、すぐに強化するんです。音をたくさん出すようになると、それを徐々に、単なる音ではなくて言葉に近づけていく訳です。時間も、忍耐力も、シェイピングの技術力(強化子を与えるタイミングの良さ)もいります。  治療教育には本当にこういう高レベルの技術を使える専門家がいると良いのですが、アメリカでもなかなかみつかりません。私も人の監督に回ることが多く、実際に子供の教育することが減っているので、大した...

真似

 自閉症児の治療教育などに関わっていると、普通の子供って「天才だなあ」なんて思ってしまう事が多々あります。自閉症児にはこちらが何回も何回も教えてやっと出来るようになることが、普通児は誰も教えていないのに勝手に学んでしまうんです。「表示に気づく」のブログで話したように、自閉症の子供には真似するって非常に難しいことだったりするんですが、普通の子供は本当に真似をしますね。  この間公園でトレーニングをしていました。公園のトレーニング器具を使って、腹筋背筋とか、腕立てとか、懸垂(両手でぶら下がって腕で体を持ち上げるやつ)とか。すると、小学生ぐらいの姉弟でしょうか、私のやっているのを真似ていくんです。お姉さん風の女の子が「あ、こういう風にやるんだ」なんて言いながら私のトレーニングを真似すると、男の子も最初は女の子の邪魔したりしながらも、最後には当然お姉さんの真似をします。( 私のトレーニングが真似をすべき正しいものかどうかは別として。)しばらくすると、中学生くらいの男の子が3人組が来て、真似するんです。全く同じ事をするんじゃなくて、自分たち風にアレンジしながらも、なぜか私に付いて来るように同じ器具を一つ一つ使っている。人間ってよっぽど真似をするように仕組まれているんでしょうね。